複数の欲望が同時に発生し自我がどれか分からなくなることがあります。似たような経験。対処法はありますか?
何かを認識したり選択することもある種の欲なので他と混ざりそれもできません。少しの間意識が無くなります。
主人格とはその時たまたま顕著に現れている欲なのでしょうか?では自発的に何かを選択していると思っているこの自我は何なのでしょうか?
謳歌ニート
大変だそりゃ
どれが自我なんだ?に関してはよくわかんねえが
欲なんて同時に沢山出るのが当たり前だし、その強さに差があるのは個体差であり好みの話だ
自我とはそこからどれを選びたいかの好みの部分にあたる
ようは、これ選ぶ!と決めた時にいやイヤかも…ってなりにくい範囲が自我だね
んで、そのイヤかもを理性で抑えて行動するのが、周りに見せる社会性の部分になるわけだ
んまー、少なくとも、欲=自我では無いね

celestar
「人間は、欲することをなしうる。しかし、欲することを欲することはできない」
要するに
「やりたいことをやる自由はある。でも、何をやりたいと思うか自体は自分で選べない」
前者は行為の層、後者は意志の層
ショーペンハウアーは前者は自由だが後者は不自由だと主張した
つまり欲望を細分化して考えるべきで
全てが自分の意思(不自由)ではないし
全ても行為の層に持っていく事は出来ない
この質問では「不自由な意思の層が主人格なのではないか?」という問をしていると思う
俺の結論は人間の人格は行為の層と意志の層のブレンドで
多重人格といわれる人は意志の層ごと変わる
質問者は意思の層の予測不可能性に振り回されていると思う
意思はコントロール出来ないけど傾向と統計と経験である程度は予測出来る
だから自分のコアの部分に耳を澄ますしかない

黒猫ひろ
自分に問いかけるやね

ノゾ
少し高度になると、刺激によって行動を促すための恐怖や欲望が発現し、これらの衝動に突き動かされるようになる。
人間になると、衝動を俯瞰し、学びえた情報に照らして吟味し、選択をするようになる。
欲望の発生は自我ではなく、肉体からの信号に過ぎず、ハードウェアやバイオスに相当する部分に属す。
上がってくる欲望たちを受け取って、取捨選択したり、制止したりゴーサインを出したりするアプリケーションに相当する部分が自我。
我々の自我は、ヒトという生き物に憑依した、あるいはヒトという生き物から立ち上った「何か」だ。
ヒトという生き物が発する欲や恐怖といった衝動は軽視すべきではないけれど、そこに自我たるの地位を与えてはいけない。

ラスカル
👻

ラスカル

シンジュロウ

むかで
複数の欲があり混乱する事があり、結局私は何がしたいのだろう?と思う事はあります。
その時、自我の存在を疑うというより、疑問に思う思考の仕組みを考えます。
目に見えて認識できる欲だけで混乱するのは、自分の思考を妄信している現れと考えます。
呼吸や心拍、消化吸収など身体の働きを生存欲などと一括りにしていませんか?
心臓動け!と常に考えて生活なんて出来ません。
常に必要な欲は自動運転にして脳の使用領域を広げてます。
認識できていない欲は沢山あると思いますし、自分以外の人や物からの影響は果てしなく常にあるので、自我も常に変化して不安定です。
欲も自我も自分だけでは語れません。
私とは、私以外の集りだと思います。
欲も大昔に比べれば細分化して複雑です。
その一つ一つを認識して選択するのは無理だと思いますし、気付かずやっている事はあると思います。
複雑さを理解した上で、上手に一括りにすれば良いと思います。

とも
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