身も蓋もないけど、実のところ何したって善も悪もわからないんだよ。悪しき行いの結果を正す試み以外からは生まれようがなかった善い行いとその結果があるとき、元にあった行いをどう評価するのか。善に満ち満ちた安寧からただちに立ち上る虚無を、果たして善いと言えるのか。時空に限りがあるならその果てでしか分からないし、ないなら永遠に上昇してゆく全体の中では、あらゆるものが善いとすら言える。「バガヴァッド・ギーター」の中でクリシュナが繰り返し「成否を等しいものとみる」とするのは、きっとこのことと通底してる。畢竟、自分の内面が命じることは、自分に連なる全歴史とその根底にある宇宙の自然が命じることであって、それに従うことが、善い行為なんじゃないかな。