「ある願望が生じる。あなたはそれを叶える潜在的力を有することに同時に気づかねばならない(©リチャード・バック)」その力の有無について根拠と判断をください。

愛善院
「お願い教」信者0人更新中
願いを叶えるものを神と定義する。(本尊)
願いがあれば人間は努力する。(儀式)
努力するほどに人間は願いを叶えるところに近づく。(行事)
すなわち神とは人間の願いにもとより居る。(教義)
人間は己が願いの神に反しないように生きねばならない。(戒律)

正宗(ろー)
具体例を上げると、
『メジャーリーガーになりたい』という(強い)願望を持っている子供がいたとして、この子供の願望が強い願望だと、
①野球の練習をしている姿が他の子供と異なるため、コーチや親の意識に止まりやすくなる
②周りの一般的な子供と比較して、ゲームや休日の予定も野球寄りになる(意思決定に作用)
③自己の願望のために練習意欲が上がる(意思決定に作用)
④お小遣いで野球用品や野球雑誌を買う(意思決定に作用)
⑤これらの子供の姿を見ることで、親も子供の願望の強さを理解する(この時点で、親密な人に願望がある種伝播している)
⑥子供自身は情報収集能力や資本が貧弱でも、親が情報収集や資本を提供してくれるようになる(協力者の獲得)
⑥体力測定で良い結果が出なかった。だからもっと体力を作ろう。(事象の解釈と意味付け)
⑦試合で負けた。このチームじゃ勝てないかもしれない。より強いチームに移籍or自分がリーダーとなって導く(意思決定に作用)
⑧こういった判断がさらに願望の伝播と協力者を生む
したがって、願望には自己に対する作用と、自己と他者の相互作用を見た場合に、単なる精神エネルギーとしてではなく、明確な媒介となって他者にそして、自己と他者を経由して事象にも伝わる。
まとめると、願望はそれ単体では事象に干渉力を持つものではないが、強い願望(質的・量的に一定の水準にまで達した場合)は現実の因果に影響を及ぼすようになる。
問の原文は日本語圏の言語ではないと思うが、『願望』という語彙が日本語圏の願望とは語彙の射程やニュアンスが異なる可能性も感じた。
“潜在的力”とあるため、文章的に矛盾は無いが、文脈的には『普通の願望』ではなくて、『意志ある願望』とか『強い願望』というニュアンスの語彙だとなんとなく感じた。

🥀ハル🥀

かれん
何にでもなれるっていうのは、ある程度裕福だったり、健康だったりしないと出てこない発想で、産まれた時からある程度選択できる択は決まってる。
強いて言うならその選択できる範囲で、消去法をして行って残ったものが潜在能力になるのかい?

すずめ
やりたくないことを無理に続けるのは難しいですし、続けたとしてもいい成果が出るとは思えません。
やりたいと思ったということは、それが好きであり、自分の性質、能力に合っているということです。
好きなことで自分に向いていることであれば努力も続けますし上達もするので、いい成果が出せるでしょう。

マルコ・アモレッティ
懐かしいな、ハルヒに憧れて隗として始められるようになったのが

紀文屋
私の中ではその願望を叶えた時に、叶えるための潜在的力というのもがあった事と、願望を叶えたという結果をもって根拠となるのではないかと思います。
その中で『気付き』は『あると自分を信じること』も含まれるのではないだろうかと思います。
『願望を叶えるために必要なのは、諦める事よりもまず“叶えられると自分を信じること”ではないだろうか』
と、勝手に脳内変換してしまいました。

たか

蘇我靈眩導師准尉
その力の有無というが「知恵」があれば何事も成せるんだ。ただ我々はそれ程に未来の道筋や全ての知識が揃っているわけでは無いし性格もその「願望」の為に作られたモノでは無い。だからほぼ「無」に等しいのだろうと思う。ただ願望が実力に則って居れば往々に達成して「叶えた」状態に入るだけなんだよね。「無限に生きたい。無限に生きられたら、全て叶う」という事さ。

loverock67
願望とは、願い望むことであるから、叶えようとする意志を持つ思考の現れであるから、当然、内に秘めた心に、力を持って現れているはずである
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