「もし誰かに愛されたいのであれば、自分から先に愛すること」という言葉がありますが、この「愛する」とは具体的にどんな行動を指すと思いますか?

しん
人は誰かに愛されたいと願うとき、安心や承認を求めてしまいます。その気持ちは自然なものですが、そのまま強くなりすぎると、相手は一人の人間ではなく、自分を満たすための存在として見えてしまいます。そこで「先に愛する」とは、その見方から一度距離をとることだと思います。
ではそれは具体的にどういう行動なのかといえば、相手を変えようとする前に、自分の関わり方を選び直すことだと思います。
たとえば会話の中では、相手の話を途中で要約してしまわず、最後まで聞くことがあります。すぐに助言を与えるのではなく、「そう感じたのですね」とそのまま受け止めることもそれにあたります。そこでは相手の言葉を自分の理解に回収しないことが大切になります。
また意見が違うときには、「それは違う」と結論を急ぐ前に、その人がそう考えるに至った背景を尋ねることができます。正しさを先に置くのではなく、相手の見ているものをたどろうとする姿勢です。
距離があるときや沈黙が続くときにも同じことが言えます。不安からすぐに意味を埋めようとせず、そのままの間を受け止めることがあります。返事の遅さをすぐに関係の問題として解釈しないことも含まれます。
さらに、相手を変えたくなるときには、その欲求をそのままぶつける前に、自分が何を期待しているのかを一度確かめることができます。相手を動かすことよりも、自分の反応を選び直すことのほうに意識を向けるということです。
こうした行動はどれも小さなものですが、その根には共通した姿勢があります。相手を自分の中に回収しないということです。相手は常にこちらの理解を越えて存在しており、その越えられなさを前提に関わることになります。
だから「愛する」とは、相手を変えることではなく、相手とのやり取りの中で自分の関わり方を少しずつ選び直し続けることだと思います。その積み重ねの中で初めて、愛されることを求める側から、関係そのものを引き受ける側へと静かに移っていくのではないでしょうか。

たくひら
ここでいう赦しをさらに分けていくと「自分が理想的な状態になっていないこと」の受容や「その受容を超えてより善い自分になろうとすること」の肯定などを含んでいますね。
このように自らを愛することで、初めて他者の隣に肩肘を張らずに座ろうとする自分を愛することが出来るようになるのではないでしょうか。その時私は私自身として他者に出会うことが出来る。これが他者から愛されるということ。そのように考えています。まぁ私自身、毎回それが出来ているかと言われたらそんなことはまだまだ未熟なので無理ですけどね。

おもち
居候の身なので最低限の礼儀と敬意を示します。踏み込み過ぎず、かといって立ち往生をするでもなく、「どうぞ」と言われた所までを行くみたいな事です。
例えば、会話や対話、イベントを通して一緒に何かをするだったり、そういったコミュニケーションは、それを互いにやりとりする事だと思っています。

まさたか†
自分を大事にしていなくて死に急いでいる状態で、他の人に「好きです。自分を大事に思って欲しい」なんて言い出す事はできないですよね

o

ミサキ
否定せず、無理に肯定もせず、その人のことを、ただ受け止めてあげること、それが愛するということではないでしょうか?

o

もちょ
もう少し具体的に言えば、たとえば次のような行動として現れる。
・相手を理解しようとする
・すぐに否定せず、まず受け止める
・相手の自由や境界を尊重する
・自分の不安や寂しさの処理を相手に押しつけない
・相手にとって本当に必要なものを見ようとする
・見返りを前提にせず、与えられるものを与える
・相手の可能性を狭めず、むしろ広がる方向に関わる
また、常に優しくすることだけが愛だとも思わない。
甘やかすことで相手を堕落させてしまうなら、それは愛とは少し違う。
逆に、相手のために距離を取ることや、必要なことを率直に伝えることの方が、愛に近い場合もある。

社不REAL

zooi
愛されるとは限らない
もっとみる 






