「願いの力の是非について」考えたので他の人の意見も聞いてみたい
神社などで願った後って、チャンスに気が付きやすくなっていると思う。願うことで、無意識のうちに行動や思考が理想へと向かうと考えた。 運命や運気の存在証明はできないが、思考や意識は存在するし、それらは自分で変えることができる。これは不思議な現象ではない。 願うことが変わるきっかけになりうる、だからお参りも神頼みも無意味な行動でない、と考えた。
共感も批判も大歓迎👌🏻

怪我の功名
「将来社長になりたい」という願いが実現せずとも、私は参謀の方が向いてるかも?と新しい発見することが出来ます。進化する力があります。
質問者さんの意見の「チャンスに気づきやすくなる」は確かにそう思いました。意識したあとそれに関連するものを以前より頻繁にみかけるようになるという頻度錯覚を起こすらしいです。また、願いの裏側には生きづらさや不安があるはずです。不安な時は何度も確認したり、慎重に行動したりしがちです。その積み重ねでミスを減らし、小さな成功を体験すると不安は解消され、いつの間にか願いが叶っています。違う形で叶う場合も多いです。自分の不安と向き合い、課題克服に努めるような場合の願いは力があると思います。

たけぽん

Michi

あ
占いで指摘されたことを気にかけるようになって、結果的に好転したら占いのおかげという判断になる
キッカケは占いでも、自分の意思であることに変わりは無いのに
それに願いの内情にもよるのでは。
完全な神頼みなのか、自分から動く気持ちがある上での願掛けなのか。

うるふ

あらた
そうすることで「私の願い」ってだけで無く「周りの皆の願い」にもなって背中を押していただける。皆で喜べる。
打算ではなく、それが自然だと考えたりするよ

微糖
いきなりラッキーとかない。

Mitolrn

エビ

ぐちきき
どれだけ願おうと届くものも届かない。
「願い」は最後の一押しだろう。
同じだけ研鑽した人同士が競った時には
願ったもののほうが勝つのだ。
(生存バイアス)
そんな理論、思考が背景にあるから
みんな願わずには居られない。
自分の結果に悔いないために、
人は願うのだと思う。
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