自己犠牲は存在すると思う?

セナ
そういや原作では自分のことばかり考えてたんだみたいな感じでトーカちゃんの泣き顔とか回想するシーンあって、
よくわかんなくなった

ホヨトホー
ミツバチやアリは危険な外で活動してるのは比較的高齢な寿命が短い個体だそうだし、熱殺蜂球を作る時も真っ先に飛びついて行くのは、(オオスズメバチに噛み切られるか、そうでなくとも中心部で高音になる)寿命が近い個体らしいし。
まぁここまでの合理性を人間に適用したら、社会福祉という概念は崩壊するだろうけど。でも、会社員やってたら、体壊しそうなくらい頑張ってみんなの為に仕事しちゃう人結構いるし、社会性を持つ生物に組み込まれた本能なのかもなぁ

款冬

たよ
願わくばそれが自身の意思であるといいな

よしおじん
自ら進んで行うってのは自分より守りたい誰かが居る場合だけな気がするよ

正宗(ろー)
当人が『犠牲』と認識していなければ、パンを半分分け与える行為は当人の意識では『自己犠牲』ではないと思います。
一方で、『その行為』を社会的にラベリングした場合は『自己犠牲』なると思います。
このように『主観意識』と『社会的ラベリング』の不一致という前提を認識しておかないと、本問はややこしくなりそうな気がしました。
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[星2]存在するか
次に、自己犠牲が存在するかですが、回答としては、普遍的に存在するのではなく、特定の人の意識下に存在するのと、社会的ラベリングとして存在すると思います。
自己犠牲的な意識を持たずに『自己犠牲』的な振る舞いをしている人にとっては、これはただの在るべき自己と在るべき振る舞いやただの優しさになっているはずです。
ただ、この人の振る舞いに対しては、その行為に対する概念はやはり『自己犠牲』という語が当てられていますから、この場合は本人の自意識を伴わない形で『自己犠牲』という社会的概念には合致しています。
一方で、自己の何らかのリソースに際して、『犠牲』を認識する人にとっては、これは紛れもなく『自己犠牲』ですが、
これは見方によっては提供とリターンを考慮した『投資』と言えなくもありせん。
しかし、この場合においても、本人の自意識の有無を問わない形で『自己犠牲』という社会的概念が成立する余地はあります。
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[星2]自己犠牲は西洋的な概念か
私の肌感だと、『自己犠牲』という概念自体が、個人主義を前提とする西洋の価値観に近似するのかなと思いました。
日本の文化は村落共同体的ですから、共同体であれば自己犠牲で分け与えるというよりも、総有や共有の意識が根底にあり、助け合うことも当たり前ですから。
他者を助け、自分も助けられるのが、道徳的美徳として描かれていると同時に、当たり前の規範にもなっているので、わざわざ『自己犠牲』という概念を使う必要がないような気もします。
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[星2]まとめ
『自己犠牲』は、
①概念としての自己犠牲
②特定の行為を表す社会的ラベリングとしての自己犠牲
の2つがあり、本当に自己犠牲的であるか否かは問われていないことが多い。
高潔な自己犠牲的振る舞いを、高潔な『自己犠牲』的振る舞いとして賛辞を送る西欧的な文化があって、本来の言語的意味とは異なる賛辞的意味をもち合わせ

はくさん
世の中それでやりたってる。
部落差別などの差別がその一例

りり
誰かのために尽くしす行為で自分が幸せになれる関係がいいよね。

がん
ってか、存在してるやん!
「自分がどうか…」は別にしても、“自己犠牲”の精神でやってる人、いっぱいおるやん…。
何を見てる?あなた…

ヒロくん
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