頭頂葉あたりに「幽体離脱する脳」すなわち、自分を客観視するための機関がある、という話題は十年くらい前になりましたかね。深く瞑想すると、もはや「他人の目」すらも越えたなにかに肯定的に睨まれ続けるときはありますが、いきざまに対する「納得」感であるかといえば、微妙なところです。矛盾体である納得、感覚的な納得はまだしも、合理的・論理的な納得を啄もうとしても空虚なポジティブさにひもじくなるようなものと思うのです。