「好き」とは、自分以外の存在を肯定すること。“自分とは違う誰か”を受け入れたい、つながりたいという存在の開放行為です。一方、「嫌い」は自分の世界観や価値観を守るための拒絶の意志です。つまり、「好き」と「嫌い」は、どちらも自分という存在を知るための鏡のようなもの。
凡人は乳児のころの記憶を容易に忘れてしまうもののようだ。快と不快くらいしかなかった、その延長に過ぎない。好き嫌いだけで判断する人物は乳児からやり直してみたらいい。脳内だけで完結する。あ、もしや……現在までの経路の記憶もないのか?
考えるな、感じろってよく言われてきた言葉思い出す。なんで好きなの?嫌いなの?って理由はいくらでも出せるけどさ、自分のは結構後出しが多くてさ。本能に近いなにか直観めいたものに近いと思う。アンテナとか波長とか人は呼ぶよねよく。科学がもしかしたらそれすら理論的に解釈してしまう時が来るかもね。フェロモン香水とかそんなもんなイメージあるし。人工的に人間のいわゆる本能めいたものに働きかける物質を製造することに成功したわけだ。