あなたから他人への興味、関わり方について自由に考えてみてください。
ポジティブ/ネガティブな興味、関わり方など。

とわ
ただ、わたし、距離感バグってて下手くそすぎて、いろいろ上手くいかないこともあるけど、興味もったらいくしかないでしょ[ほっとする]って感じです。
拒むかどうかは相手の自由。

ステラ
私は、何か惹かれる物を他人が持っていると、その方に興味が湧いてしまい、色々と知りたくなって、殻を背負いながら近づいて行きます。
その他に、他人と積極的に関わりに行くのは、困っている方を見るとほおっておけなく手を出してしまいます[冷や汗]
🌱他人から私へ
だけど、臆病なのでグイグイ来られてしまうと殻にサッと逃げてしまいます。
美容院では、本を読むか寝たふりをしてしまいます。大勢の中にいる時は、透明人間になった気持ちでいます。
考察結果
私はかなり自分勝手な人間でした[冷や汗]自覚出来て良かった[泣き笑い]

まくすうぇる
人によってはある
人そのものよりも、その人の持つ興味関心や思考や感性、感情のゆらぎみたいなものを
見ているのは好きかもしれない
このときに自分は他人を、その人そのものである領域とその人の周りにあるものの領域が
しっかり分けているのか分けられていないのか 人とものを同一視するときもあれば分離して感じるときもある
その人の周りにあるもの、は
その人が興味を持つものだったり好き嫌いとか考えや主義から、趣味や仕事やよくやる癖とか口に出す話題まで
その人のアイデンティティを構成するもの全部のことで
その人の周りにあるものを全部 その人と分離して見てみると、
(自分の認識上は)その人のその人らしさはまったく無くなって、なにも面白くないただの空っぽな人の形になる
そうなると自分はその人に興味があまり持てなくなってしまう
だから、何かに熱中していて
あたかもその人とその人が関心があるものとが同一であるかのように振る舞う、何かに執着している状態の人のことは
好ましく思ったり逆に恐ろしく感じたりするので関心がある状態と言えるだろう
だいぶ脱線してしまった
関わり方でいうと自分からはほとんど動かないかも
ほとんどの人を分離した状態で見ていることが多いからかな
もう少しくらいは同一としてみることができれば自分から話しかけに行くくらい興味が持てたりするのかな、と思ったりもする

紫獄の覇姫
なんて思える強い人間にはなれませんわ
やはり寂しいですもの。
ですので、誰かに興味を持たれれば嬉しい。
自分が興味を持った場合は、何かしらの形で伝えるようにしてますの。
私が興味を抱くのは、己と違う感性を持つ方、尊敬できる方、人間味があって素直で可愛らしい方。ですわ。
ただし、私の世界はちっぽけなので
誰彼構わず踏み込まれるのは嫌ですわ。
そのために、見極めを大切にしています。
至極、我儘姫ですこと![泣き笑い]

くろわっ
みーちゃん

𝐇𝐮𝐠𝐢𝐧𝐧
関わり方としては、遠巻きに見守るだけだ
他人に余計な深入りをするのは、美しい水面に紫の絵の具を垂らして台無しにするようなもの
自分の加害性を理解しているので、迂闊な関わり方はしない

シトー@修行者
要は、差別も区別もない。
他人を見て何か思うことは、自分もそれの一部になる。

ケンポス
どう見られたいかで偽りの答えを書きたくなる自分の汚い衝動に気づくから嫌いだな。

K
同じ「興味」という言葉でも、人によって参照している層は違う。関係そのものを重視する人もいれば、思考の形や認知の揺らぎに目を向ける人もいる。さらに一段引いて、自己呈示や評価の構造を観察する人もいる。私は、その焦点のズレを見ることに惹かれる。
けれど最終的に惹かれているのは、思考の背後にある動機や孤独、欲望といった「存在の重み」かもしれない。論理や言葉の形は入口に過ぎない。それらは、その人がどのような経験を経てきたのか、どのような傷や葛藤を抱えてきたのかという履歴から生まれている。
人は、歌が上手いことそのものよりも、その裏にある努力に心を動かされる。成功よりも、その過程にあった苦労に惹かれる。同じように、美しい論理や洗練された言葉にも、その背後にある重さや孤独、責任が滲んでいるとき、私は強く惹かれるのだと思う。
たとえば、強く、頼りがいがあり、ひとりでも揺るがないように見える人がいる。社会的な役割の中で強さを求められ、弱さを見せないまま立っている人もいる。けれど、その奥に子どものような不安や、誰にも見せない傷や疲労があるのではないかと想像すると、私はそこに触れたくなる。強さの裏に隠れているやわらかさに気づいたとき、可愛らしさや痛みの両方を感じる。
だから私が惹かれるのは、完成された像ではなく、その像を支えている見えない層なのかもしれない。
ただし、存在そのものを完全に理解することはできない。他者の内面は推測することしかできない。それでもなお、構造を通して存在に近づこうとする。その距離の中で関わることが、私の他者への興味の形なのだと思う。
では、ひとつだけ問いを置いてみたい。
誰かに強く惹かれた過去を思い出すとき、最初に残っているのは論理や言葉の形だろうか。それとも、その人が背負っていた重さや孤独の気配だろうか。
もし後者が浮かぶのなら、私たちはきっと、整った形の奥にある、まだ揺れている部分の奥にある存在に惹かれているのだと思う。

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