心が何かというのも問題ですが、木や草にも心はありますか? 石や岩はどうですか? で、ひるがえって心とはなんですか?

ぐしゃ
一部の生き物にしかないんじゃない
哺乳類とか鳥類とかぐらいかな?
心は感情を生み出すもの、かな?

はやと
その概念を大事にしたいかどうかだと思います。
なので木も石も機械でさえも心があると思いたい人には心があるでしょうね。ってのが私の答えです。

ナトル
木も草も石も岩も心があると思っているから 物心という言葉があったり 多宗教 神話ができたのだと思う
へーデルトヨーデル

伯爵
何を「心」と定義するか?によりますね。
草や木は脳を持たないため、長年「心はない」とされてきましたが、近年では他の生物と交流を図ったりしていることがわかりました。
きのこなどはもっと面白く、菌のネットワークを通じて森全体を管理したりする、といった研究結果も発表されています。
心とは、脳の作用だけではなく、神経系によってもたらされる情報処理の副産物的な作用であるのかも知れません。
さて、植物には定義によっては「心がある」と判断しても良さげな点はありました。
石や岩は?というと、これは現時点では「無い」といって差し支えないかと。そもそも無機物ですし、生体反応がないのです。「何を持って生命とするか?」まで遡れば、議論が飛躍しすぎますから、対象としては除外しましょう。「岩は生命ではないが地球は生きている」みたいな話になります。
さて。そこいらにある岩を、地蔵の形に彫ったら、人はそれをおろそかにできなくなります。これは「地蔵に心がある状態」なのかも知れません。
とすれば「心」とは、「自分にあると信じていて、他人にもあると期待する、主観による偏見と錯覚である」とも言えるのではないでしょうか。
人は自分を認識するのに、自分以外の誰かを必要とします。自分と、自分を取り巻く世界の認識は、所詮は「主観と錯覚による認知」なのかも知れません。
すると山にも空にもパワーストーンにも、人によっては「心」が宿るのだと思います。

あとわりみ
石や草木にもそこにいた時間の景色の時間の分の何かが宿っていたら楽しいかなと思います

ジョン・ブル
貴方にも私にも「心」なんてないよ、化学反応があるだけ。
脳とか神経が反応するから、「それらしい何か」はあるけど。

ちゃこ

あとわりみ
草木にも石にも日本には宿るとされている古来からの考え方があります。
石をお守りにしたり、よくない記憶があるからと持ち歩くのを駄目としたり、花木にも道筋と経緯が物語として宿ると考えられる文化があります。

リュウジ
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