共感で繋がるSNS

心が何かというのも問題ですが、木や草にも心はありますか? 石や岩はどうですか? で、ひるがえって心とはなんですか?

ぐしゃ

ぐしゃ

なんやろね、
一部の生き物にしかないんじゃない
哺乳類とか鳥類とかぐらいかな?
心は感情を生み出すもの、かな?
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY99
はやと

はやと

心とは概念です。そもそも存在してませんので。
その概念を大事にしたいかどうかだと思います。
なので木も石も機械でさえも心があると思いたい人には心があるでしょうね。ってのが私の答えです。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY30
ナトル

ナトル

思いと思想だと思う

木も草も石も岩も心があると思っているから 物心という言葉があったり 多宗教 神話ができたのだと思う
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY8
へーデルトヨーデル

へーデルトヨーデル

チコちゃんに聞いてみる
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY6
伯爵

伯爵

さだまさしの「防人の詩」のような議題ですね。

何を「心」と定義するか?によりますね。
草や木は脳を持たないため、長年「心はない」とされてきましたが、近年では他の生物と交流を図ったりしていることがわかりました。
きのこなどはもっと面白く、菌のネットワークを通じて森全体を管理したりする、といった研究結果も発表されています。

心とは、脳の作用だけではなく、神経系によってもたらされる情報処理の副産物的な作用であるのかも知れません。

さて、植物には定義によっては「心がある」と判断しても良さげな点はありました。
石や岩は?というと、これは現時点では「無い」といって差し支えないかと。そもそも無機物ですし、生体反応がないのです。「何を持って生命とするか?」まで遡れば、議論が飛躍しすぎますから、対象としては除外しましょう。「岩は生命ではないが地球は生きている」みたいな話になります。

さて。そこいらにある岩を、地蔵の形に彫ったら、人はそれをおろそかにできなくなります。これは「地蔵に心がある状態」なのかも知れません。

とすれば「心」とは、「自分にあると信じていて、他人にもあると期待する、主観による偏見と錯覚である」とも言えるのではないでしょうか。
人は自分を認識するのに、自分以外の誰かを必要とします。自分と、自分を取り巻く世界の認識は、所詮は「主観と錯覚による認知」なのかも知れません。

すると山にも空にもパワーストーンにも、人によっては「心」が宿るのだと思います。
哲学哲学
GRAVITY8
GRAVITY6
あとわりみ

あとわりみ

心は脳にあるとされないのは考えた経緯に温度が宿って胸に描きやすいからかなと勝手に解釈しています。

石や草木にもそこにいた時間の景色の時間の分の何かが宿っていたら楽しいかなと思います
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY5
ジョン・ブル

ジョン・ブル

貴方に「心」があるといつから「錯覚」していた?

貴方にも私にも「心」なんてないよ、化学反応があるだけ。
脳とか神経が反応するから、「それらしい何か」はあるけど。
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY4
ちゃこ

ちゃこ

全ての物に、心があると思いたいよね〜[照れる]その方が自分の心が豊かになれそうだね!
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
あとわりみ

あとわりみ

経験の経緯と作用
草木にも石にも日本には宿るとされている古来からの考え方があります。
石をお守りにしたり、よくない記憶があるからと持ち歩くのを駄目としたり、花木にも道筋と経緯が物語として宿ると考えられる文化があります。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
リュウジ

リュウジ

心とは空間、宇宙空間と同じ様な物、何もないところから自分がその心を作り出していくから
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
もっとみる