なぜ余計な一言を言ってしまうのか。私の考察は3つ。ひとつは、感情のコントロール力の未熟さ。カッとなる瞬間、理性より先に感情が発火し、言葉が追いつく前に口から出てしまう。いわば、心が暴走した結果の“衝突音”である。ふたつめは、思考の密度と会話の速度のズレ。脳内には莫大な思考が巡っているのに、会話というリズムの中では、そのほんの一部しか言葉にできない。結果、思考の途中を切り出したまま言葉が外へ出てしまい、誤解を招く。宇宙人のような距離感を生むのは、このタイプだ。そしてみっつめは、人と人は別個体であるという根本を忘れてしまうこと。わかった気になったり、“してあげよう”とする押し付けや傲慢さ。ことばは、相手のフィルタを通してしか伝わらないという前提を、つい置き去りにしてしまう。「余計な一言」は、抑圧しきれなかった熱か、伝えきれなかった深度、あるいは見誤った距離感のいずれかが噴き出した痕跡と考える。そして、この問いは“最後に”とあるので、感情のコントロールの未熟さによるものと、自分の正しさの押し付けだと私は思う。
余計な一言は後付けの概念だからだと思います。正確には言ってしまうのではなく言った後、もしくは脳内の発言内容の精査の中で、それは余計な一言であると他人もしくは自分がそう感じたことが余計な一言の正体だと思います言った後に自分でも後から、あれは余計だったなと思うことはありますがまあそれも自分ですし、どうしても辞めたいなら今後はああ言う一言は使うのを控えよう程度に考えるのがいいかも?他者ベースであまり余計なことは言わないでおこうは、テンプレ化された配慮の中である程度負荷軽減して行うのはいいかもですが、会話しながらでやるとかなり気を遣って疲れますし自分を出せないのでつかれりゃんす....