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法に反していなければ何をしても良いか?

たれぱん

たれぱん

自分が不快に思うことを相手にしない事だと思います。
法はその後の話と思ってます。
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セナ

セナ

いわゆる常識的にはそんなことはないでしょう。
そして僕は例えば懲役十年を受け入れるのならば詐欺を働いていいのか?
と疑問に思う節があります。
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とったん

とったん

神は神話だそうです。だから、YESとNOも神話だそうです。
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ギゼン

ギゼン

良いと思ってんの?
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Jotak

Jotak

良くない。むしろ逆で、法は機械的なルールであり、無数にある全て個別の“しては行けないこと”を法律にするなど無理なので、コレだけは法として客観的に取り締まるべきと言う最低限のものが法になっていると言うべきでしょう。
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ラチャ

ラチャ

何をしても良いか?って言われると難しいな
大凡の方が持つ良識に反した上で法律に反していない行動も多くあるでしょう。
結局は当人が良識に従うか、法律に従うか、だと思います。
法律はあくまでも国や、人という大きな単位での集合体がより長く存続するために存在するシステムだと思いますし…
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たくひら

たくひら

法というものは、確かに強制的な罰則を定めたものか含まれていますが、一方で心的或いは内的規範を強制的に縛るものではないとされています。
例えば不倫は良くないものと多くの人は道徳感情や倫理観で考えていますが、法的には「配偶者に対して不倫をしたものに損害賠償請求出来るという権利」を付与したものという建付となっているため、ある意味で社会的損害や金銭的損害を支払うだけのリスクを受け入れているのであれば「やっても良い」と言えるかもしれません。これは、ある意味でその社会的リスク度外視であれば、殺人や強盗にも適応できるでしょう。
大事な事は、「法を犯すかどうか」ではなく、「自分は法を犯してでも目的を達成したい人間なのか」とか「社会的リスクを受け入れてでも達成したい事はあるか」とか「その行為以外の方法を考えないことは自分にとって善なのか」とか、そういう内的規範や自身の倫理観の問題かと思います。だから、法は「共同体が支持している内的規範の文章化」と言ったような概念が採用されているわけですね。逆説的に言えば、共同体の内的規範に変更があれば法は変更されると言えます。時代や文化によって、法規範が異なるのはこういうことが前提にあると考えてみると、法と自分の距離感が掴めてくるのではないでしょうか。
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ワンコおじさん

ワンコおじさん

倫理、という観点から言うならそうではないだろうね、誰かの決めたモラルとかいうやつがうるさいだろうし。
アレイスター・クロウリーに習うなら「汝の欲するところを行え。それこそ法の全てとならん」。君の生きた先に法が作られる。好きにしたらいい
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せいえす

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法はひとつじゃない
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くろ

くろ

みんなそうやって生きてて見つかったものは法以外の手段で間引かれて、それでもよければ何してもいいんじゃないかな。そんな不安定なバランスの中でみんな探り合いながら生きてる。
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