心はあるのかないのか? あるとすれば何のためにあるのでしょう?

エテ公
心当たりがある⋯

夏休みの最終日

ナトル

愛善院

伯爵
相談を受ける時によく意識するのは「意識(理性)」と「脳(生理)」と「心」は、それぞれ別のものである。という認識と実感です。
なんでも脳による働きであろう。というのは現代科学のベースになっている考え方ではありますし、概ね正しいとは思います。
脳に障害が発生したがために、好みが変わってしまう。という事例は珍しくありません。
しかし、心臓の移植手術で、他人の心臓を移植した人物の好みが変わった、という事例もあります。
また、お腹に子供を宿したお母さんの好みが変化することも、珍しい例ではありません。
荒っぽい推論ですが「脳」と「脳以外の作用」そして「過去の体験」など、複合的な要素で『心』は成り立つのだろうと思います。
故に『心』はあります。
そして(我ながら私らしくもなく詩的ではありますが)『心』は人生を彩るためにあるのではないでしょうか?
生存本能や生殖本能に起因することは勿論です。ただ、それならば感情は不要です。仮に感情があったとして、心がなければ、恐らく「他人が受け取った体験と、その感情の機微」を察する力は低減するのではないでしょうか?
私も理論立てて定義したわけではなく、未熟な推論に過ぎませんが、『心』にはそうした側面があるように思えます。

ジョン・ブル
脳が物理的に壊れた時、人が変わる事が多々あるけど。
それでも、本人の「こころ」が失われない時もある。
不思議。

Elk
反対に人間の意識は測定装置であると同時に自身を省みる能力があります。この自分自身を測定したものが「心」だと考えます。(外側から見た場合は物理現象になります)

サイダー
人間がまだサルやネズミだった時代からある古いシステムなので、絶望やハラスメントといった様々なエラーも起こすけど、さいわい人間は思考でそれをカバーできる。

マックス
ブラックテール
生を授かり死ぬまでいかに楽しく過ごせるかを司るツール。
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