宿命論 とか 縁と業の組み合わさって成る事 とか様々、その土地や人や宗教で変わって来るもんで要は、運命なんて誰も解らなくて、その都度で感じたり、思い込んだりする その環境・状態に馴染むための 「自由な選択と経過と結果」 なんじゃないかなと…妻に先立たれた今の自分ならば、そぅ言うな…と思います。 まさか…希少がんで妻が旅立つ事が宿命で決まっていて…それを受け止める為に、それまで信じてなかったあの世を信じ、それに付随する事柄も信じ、あの世で妻と暮らすことを目標として、妻を送り出した仏教の宗派を習い、更に別宗派や別宗教も、スピリチュアルや宇宙論も見聞きして、それでも心は癒えなくて、最終的に、妻を本尊にして信仰の対象にする事で落ち着きを取り戻すなんて……それが自分の判断…苦し紛れの判断…それを果たして運命というのか…「それが君の運命なんだ‼️」と、誰が言える?神か?神に運命が見えるのか?多次元宇宙論か?結局な話、結果を知れば、みんな「運命」の一言で片付けれるんだよな…数年後、自分が、今の自分を見たら、過去数年の自分を知っているから「運命」と言うだろうな…でも、妻が癌になる事が運命だったと思ってはいないんだよ。それが運命かどうかは、あの世に行った時に妻に聞くしかないんだ。もし、宿命だなんだが有るのならば、そこでタネ明かしをしてもらえるのだろう。なんか、感情的に長々と書いちゃったな…なんでそんな感情的になったんだろう…[冷や汗]まぁ、なんか、「自由な選択と経過と結果」とか、それっぽぉい事書いたけどさ…運命ってなぁ…どぅ解釈してもよい「都合の良い言葉」だよ。