やさしさってなんだろう

Nebuliner
反発を喰らっても相手の事を真剣に考えて
嫌われる覚悟で
諦めず、見離さず、見守り、信じ続ける
感謝なんてされなくて良い
奉納の精神なのよ〜[笑う]
※写真はイメージです
#ありがたい #優しい嘘もあるよ #大仏様


komichi
未来を信じて、長い目で寄り添うこと
自分に何かあっても、一貫した姿勢を貫くこと


ひーちゃん✨🦩

あお🫧
なぜなら、人の利を考えて行動しても、その結果が必ずしも相手にとって利とはならず、むしろ負担や違和感となることすらあるからです。
ここで必要になるのが「複数の視点」を保つ態度です。
あるひとつの解にたどり着いたとき、それを絶対視するのではなく、「他の見方があるのではないか」と自ら問い直す姿勢。これは、思考を閉じず、相対性を自覚する理性的な態度です。
そして最後に重要なのは「責任」です。
解釈や行為がどう受け取られたとしても、それを選んだのは自分自身であると引き受けること。この責任を回避した善意は、ただの独善に堕してしまう。
つまり「やさしさ」とは、相手の利を想像しながらも、それが常に正解ではないと知るしなやかさであり、一つの解に固執せず他の可能性を思考する開かれた態度であり、その上で自らの行動を引き受ける覚悟でもある。
やさしさは一過性の行動ではなく、継続的なプロセスとして形づくられていくものではないでしょうか。
――感情としての「やさしさ」は、時に盲目的になりがち。
だからこそ、やさしさは感情にとどまらず、態度があってこそ成り立つのだと思います。


らかん
行動を、伴うことも、伴わないこともある


没壱 ヤモオ
四つの心を持つ事と仏教的解釈ではされています。
慈 無量心
他者に幸せを与えようとする、慈しむ心。
悲 無量心
他者の苦しみを取り除こうとする、哀れみの心。
喜 無量心
他者の幸せを、自分自身の幸せとして共に喜ぶ心。
捨 無量心
愛憎や好悪等の悪い欲の感情を捨て、全ての人も動物も平等に見る心
この四つを纏めて「四無量心」=「優しさ」です。
一言ではあるけれど、一つの事柄ではなく複数の意味を持っているという事と、仏教の本には書いていました。

yjk🫧
「人のことを思うこと」は優しさの芽である。それだけではまだ未熟。
その芽を大切にしたまま、常に自分に問い直し、様々な多様性に触れる経験を通して、思考に行動を伴わせて実感を得ることによって形作られていく。
そして、その過程の中で自身の「在り方」の一部となった時にはじめて、真の意味で「優しさ」と成る。
また、そのプロセスには傷つく経験が付きものであり、同時に多角的な視点と自らに問いを立て続けるための思考力と忍耐力が必要となる。だから、人によってはハードルが高く感じられるかもしれない。
しかし、誰もが身につけられそうで出来ない。そこに尊さがある。
そして、そのプロセスを経た者には「人の構造を読む目」が養われる。
その目は、人を読むだけでなく、自分自身をも常に試している。
「自分は、どう在るべきか」と。
優しさって、簡単に語られがちだけど、実は結構難しいよな♪
俺自身も迷子になったりする(笑)
特に、踏み込む時の判断には勇気がいるねん。やから、あおさんのMAPPAのイノシシモードは尊敬してるし大好きやで♪
……え?ちょ、え、は?え!?
#やさしさとは


モ!
2、あるいは植物さんのこと
植物は何も奪いません、だけど与えてはくれます
「それはどうかなゲッヘッヘ」
「誰だ!!」
そこにいたのはウツボカズラにハエトリ草
「俺たちゃトラップを仕掛けて生き物を食う」
、、、。
食中植物は置いといて、それ以外は優しいです
「そいつはどうかなゲッヘッヘ」
「誰だ!!」
そこにいたのは冬虫夏草。蝉の幼虫を苗床に生えるキノコ(ところでキノコって植物?)
食虫植物と寄生キノコは置いといて
それ以外の植物はやさしいです
「それはどうかなゲッヘッヘ」
「もういいや[大泣き]利他性が優しさです」
やっちん坊♂
良いと思ってした事が💦逆に👿仇になったりとか〜❓良くありますよねー😘

小國(おぐに)
・受け入れてくれた人
・黙って話を聞いてくれた人
・病気の時に看病してくれた母親
・嫌われるのを覚悟で社会で通用できる人間になるように厳しくしてくれた人
・人として大切なことを教えてくれた人
・世の中で役に立つ知識を教えてくれた人
・そばに居てくれた友達
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