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あなたにとっての"問い"がもし"問いの模造"に変わるとしたら、その変質はどのような時に起きると思いますか?

"問い"をしている自分を客観視して考えてみてください。
骨の強い傘

骨の強い傘

私たちが自問自答する議題の多くは、すでに先人たちの教えやことわざで解答が出ているので、全ての問いは模造でしかないと思います。ただセカオワの曲のように「答えを知っている」ことと「答えの意味を理解する」ことには大きな違いがあります。例えば「食べ物を粗末にしてはいけない」はみな知っていても、本当の飢えを経験していないとその本質は理解らない。なので変質するのは問いではなく、その答えの認識なんじゃないかと🤔
哲学哲学
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毛玉

毛玉

本物も偽物も須く問なのではないだろうか?

プロボクサーの突き詰めた右ストレートの練習法を素人が真似たとする。パフォーマンスは悪いだろうけど、素人は素人なりに何もしない人よりは伸びるんじゃないかい

学ぶは真似ることから始まるわけだし、模造になることでの変質はないんじゃないかなぁ
哲学哲学
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見習い

見習い

模造?レプリカ、偽物?
学が足りなければすみません、もしかしたら“問いの構造化”でしょうか。
わたしのとっての“問い”は幼いときからずっと、ほぼ自然に構造化していたと思います。
環境から、自然にそのような思考になっていたのかもしれません。
なので私にとって、構造化は変質によってではなく、生まれる問いが既に構造化されています。規模に差はありますが。
哲学哲学
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