私にとって異性は、恋愛対象としての甘い憧れではない。むしろ、自分の生物的な弱さを自覚させる存在だ。届かない高さの本を、何気なく取ってくれる。私がどんなに頑張っても持てない重い荷物を、なんでもないように運んでいく。その場面で私が感じるのは、「ありがとう」より…「くやしい」かもしれない。たとえば出産は、生き物として“動けない”状態を強いられる。その現実は、社会構造の中でしばしば不利な扱いに結びつく。女性は産休や育休、体力的制限によって出世コースから外されやすく、就活や昇進の場面でも不当に評価を下げられることがある。一方で、男性は家族を持つことで「責任ある大人」「一人前」という社会的評価を受けることが少なくない。そこには、能力とは別の“性別による得失”が埋め込まれている。しかも、その恩恵を受けるのは有能な男性ばかりではなく、「無能でも男だから」という理由で権力や地位を得ている場合もある。異性に抱くのは、憧れよりも、こうした構造的な不公平を意識させる複雑な感情だ。男性にも苦労はあると分かっている。それでも私は、“憧れ”ではなく──なりたかったのだ。男に。男女という区分は、いまだ社会に深く根を張り、人を測る基準の一部であり続ける。それを意識せざるを得ないとき、私の内側では「性別」と「能力」のバランスをめぐる問いが、静かに燃え続ける。だから私は鍛える。重いダンボールを必死で運んだ日は、プランクをいつも以上に。虫との遭遇で「きゃっ」とかわいい声出した日は、「ムシハナカマムシハナカマ」と言い聞かせる。せめて努力で補える部分では負けたくない。んー。背は脚立で補う(笑)そして、女も磨く!──私は、日々異性に戦いを挑んでいる。
いやーあくまで自分の今までの人生経験から考えても男は無理ね。なんつーかね、憧れって所詮イメージでしょって…そんなもんで生き残れるとは到底思えないのよね。女で生まれたからギリ今まで生き残れたんだろうと思ってる。多分、男に生まれて今の人生だったら十中八九序盤で死んでるw今じゃなかったとしても男…いやーベリーハードそう。こんなシビアな中でよくやってるよなぁって正直理解出来ないレベル。だって女みたいに下駄も割引もないじゃん、通常運転で理不尽てんこ盛りとかまぁ考えらんない。私はギリ女に生まれてラッキーだと思ってるよ。まぁ男と女じゃベクトルが違うから比べるの可笑しいんだけどさ。まぁ現在女に生まれたのに女辛いとか泣きが入ってる様な人は男になんぼか憧れたとて今より悲惨だろうなと思う。ぶっちゃけね、女に生まれたから泣き言言っててもよしよしされてるだけで、多分男に生まれてまでこんなつもりじゃなかっただのなんだの言ったとこで誰も聞く耳持たないどころか、グズグズ泣き言宣ってねぇでちゃんとやれ男の癖に[疑っている]位のこと平気で言われると思う。無理無理、ハード過ぎっしょ。私は来世も女でいいよ_(┐「ε:)_