共感で繋がるSNS

創作活動するとき、キャラの設定とかごちゃついた時ってどうしてます?片っ端から採用?それとも見直していらないものは切り捨てる?

小説でもゲームストーリーでも何か書いたことある人の考えが知りたいです。
りんご

りんご

それも1案ですね。
隠れた持ち味持ったもの集まれ!
GRAVITY
GRAVITY13
くずもち

くずもち

そもそも「設定がごちゃつく」時点で、創作の進め方に間違いがある気がしますね。
創作では、描写がすべてです。いくら興味深い設定が山ほどあろうと、その設定を活かした描写がなければ、その設定になんの意味もありません。
設定とはあくまで「人物の魅力を引き出したり、言動の方針を決定づける要素」です。必要もない情報を設定して、プロフィールを埋めていく必要はありません。

例えば、「女手ひとつで育ててくれた母に心から感謝しており、毎月実家に仕送りしている」という設定の人物がいて、その人が母のことを一言も口にしなかったり、母の日に「普段はお金しか送れてないから、たまには花でも…」とか言わないのでは、彼が母想いだったり、仕送りしているという設定に、意味はありませんよね。

人物先行で作られた物語は、得てして「作った人にだけ刺さるもの」になりがちです。ごちゃついた時は、設定だけでなく、キャラの造形そのものに無駄がないか、見直してみましょう。
GRAVITY1
GRAVITY4
冷泉院ラグドメゼギス

冷泉院ラグドメゼギス

採用か整理かの二択であれば、整理します。
設定というのは往々にして世界観そのもの、そして各キャラクターの言動を導く方向性なわけです。
多過ぎてごちゃごちゃした設定は、果たして説明セリフや解説としての地の文で披露するのでしょうか。尺を費やす必要があるのでしょうか。
本人の背負うテーマと食い違ったりしないでしょうか。
例えば異能の類でさえも言動には影響します。
触れたものを無条件に傷つけたりする制御不能な異能があった場合、保有者は他人との接触を避けたり、あるいは露出度が極端に低くなったりするでしょう。他人との握手にも、非礼を承知で応じなかったりするかも知れません。

物語を動かすのは基本的に登場人物の選択と行動です。設定ではありません。
GRAVITY1
GRAVITY3
見習い

見習い

私の場合は良く“氷山”になぞらえます。
水に浮かぶ氷山は、水面下の方が何倍もの体積を有します。
作品に出てくるのはその氷山の一角であり、まずそこを魅力的に仕上げます。
その後、その氷山の一角の水面下にある、表に出さない可能性の高い設定を作ります。
それら設定によりキャラクターの使う一人称や沸点、接続詞の選び方や僅かな言動の違いを出しています。

個人的な好みの問題ではありますが、これらを怠った作品のキャラクターは言動に厚みが無く、私としては見ていて心底萎えてしまいます。
時代錯誤かもしれませんが、地盤がしっかりした設定の作品や考察が好きな私は、設定を作り込みます。

とはいえ、設定を何でも盛り込めばいいという訳ではなく、まず表に出る氷山の一角を中心にし、水面下の設定は臨機応変に変更できる部分が多いです。
水面下の設定に縛られる過ぎると、氷山の一角が崩れてしまいますから。
GRAVITY1
GRAVITY1