誠実とはどういうことか
例えば自分にパートナーがいたとして、その人以外にときめいてしまうことは不誠実だろうか。パートナーがいるのだからもちろん、声をかけたりはしない。恋愛において、誠実な行動を貫いていたとしても、心が衝動的に揺れてしまうことがあった場合、それは誠実と言えるか。人に見えない部分が汚い人でも行動が綺麗であれば誠実だろうか。

みあ(+まさくん)
なぜなら、誠実さは「心」と「行動」のどちらに重きを置くかで答えが変わってしまうから。
本文にある例えで答えるなら、
心の揺れは人間である以上どうにもならない部分。
誰かにときめく、衝動に反応する、
それ自体は「誠実か不誠実か」という枠組みより前にある自然な出来事で、呼吸のようなもの。
そこに罪を貼ると、人はすぐに自分を責めてしまう。
一方で「行動をどう選ぶか」は、意志が関わる領域。
パートナー以外にときめいたとしても、そのときにどう振る舞うか。そこに「誠実」という言葉は宿りやすい。
ただし、行動が整っていても心の内で「自分は汚れている」と思い続けるなら、
それは「誠実さ」とは別の問題で、むしろ「自己との関係」の話になってくる。
人に見えない部分でどう感じても、
それを正直に受け止めてごまかさないこと。それも誠実の一つの形。
つまり、誠実とは「揺れを無くすこと」ではなく、「揺れの中でどう向き合い、選び取るか」だと思う。
表も裏も含めて自分を欺かず、そのうえで相手に対しても誠実であろうとすること。
裏側にぐちゃぐちゃを抱えながらも、それを否定せずに行動を選び直す。
その不完全さごと、誠実と呼んでもいいのかもしれない。
心の揺れを「裏切り」と感じる方か、それとも「人間らしさ」と思える方か、それによっても答えは変わると思う。

こんさん
入力しててわかった 誠意って何かね?の間違い

みん

cootarox
故に他人とは分かちあえず
万人に叶う誠実なんて無いのでは

とも
って自分では思ってる。

躊躇ちゃん

あきよし
誠実には、「内面的な誠実」とそれが表出した「社会的な誠実」の2面があると思います。
内面的な誠実は、自己をどう認識するか、自分に正直であるのか、を自身に問うしかないでしょうね。
社会的な誠実は、「誠実であると見えること」が重要で、それはルールや約束を守ったり、言動を一致させたり、という「誠実に見える行動」に集約されるかと思います。

毛玉
社会通念的な誠実との境目はあるだろうけど、所詮自分の中にしかないと思う

夏樹
自分と他人を納得させる事。

シス
世間一般的には誠実とは非常に良い言葉として捉えられていますね。こう呼ばれたら悪い気はしないし、相手に使っても喜ばれそうです。
しかし、言葉には必ず表と裏があり、完全に正しい事などあるのでしょうか。
質問者の例の様に無意識に心が揺れたのであればそれを隠す事は自分自身に誠実なのであろうか。相手に対して誠実であるべきなのか。
私は自分自身への誠実さと他者に対する誠実さは基本的には成り立たないと考えます。
そして、何よりも大切な事は人間は他者との関係に重きを置く生物であるという事です。それにより発展し進化したとも言えるでしょう。
つまり、その本人が他者との世界を重視するのであれば他者への誠実さをとるべきだし、自分の世界を大切に思うならば自身の感情や思考に寄り添うべきだと考えます。
しかし、私が思うに最後に残るのは自分自身だけなのでそこまで他者に誠実である必要はないとは思います。
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