哲学書って、大人が難しそうに読む本だと思ってた。でも「初めて読んだ哲学書は?」と聞かれたとき、まっ先に思い浮かんだのは、『スイミー』だった。小さな魚たちが集まって、大きな魚に立ち向かう話。でも私は、追い出された“おおきなさかな”のほうが気になってしかたなかった。あの魚は、本当に“悪”だったのかな。──ただ、お腹が空いていただけかもしれないのに。そして、黒いスイミー。「目」になって、みんなを導いたあと、彼はどう過ごしたんだろう。特別だった彼は、群れの中でほんとうに居場所を見つけられたのかな。ヒーローものの悪役にも、似たようなことを感じていた。世界を壊そうとする彼らにも、そうするしかなかった理由があるように思えた。もしかしたら、向こう側にも“正しさ”があるのかもしれないって。善とは?悪とは?友達とは?集団とは?そんな言葉もまだ知らなかった頃に、私はもう、考えていたのかもしれない。「子どもだって、哲学する」──それを、大人になった今、ようやく言葉にできる気がする。もちろん、すべてを許せるわけじゃない。いじめは、どんな理由があっても“悪”だと、私は思っている。問いは、今も私の手のひらで転がってる。着地したり、忘れかけたり、でもまた火がついたりする。問いを抱えることと、譲れないものを持つこと。その両方があって、ようやく哲学は“自分の言葉”になるのかもしれない。たぶん、タイトルじゃない。問いが、心に残っているかどうか。それが、最初の“哲学書”のしるし。──ほんとは、“哲学”って何か、今でもよくわかんない(笑)
「ツァラトゥストラはかく語りき」だったか「ソクラテスの弁明」だったかよく覚えていませんね。結局、言っていることは何となくわかるんですが、腑に落ちない事も色々あって。今一のめりこめ無いんですよね[穏やか]