自身が思考する上で他者(他人・パートナー)の存在は必要?不要?

あお🫧
他者は、思考の起点たりうる。
対話、衝突、観察、共感――いずれも自己に対する新たな視座を提供する。
思考の火種として、他者はしばしば有効である。
しかし、何らかの結論を導くという目的において、必ずしも他者は必要ではない。
少なくとも私にとって、思考とは内的な対話の連鎖であり、
脳内で複数の視点や役割を自ら構築し、運用する営為である。
ときに私は、自己の視点を離れ、宇宙的な俯瞰に至る。
全体を捉える抽象化、他者の立場を仮構する再現、
さらには自己の無意識をも対象化し得る柔軟性を持つ。
だが結局のところ、
それらの「俯瞰」も「他者」も「宇宙」さえも、
私がこれまでに触れ、理解し、構成可能だと認識した範囲の中でしか立ち上がらない。
私が思考に用いる材料は、私が既知のものに限られており、
ゆえに、今この時点における「私の最高解答」を越えるものは、原理的に導きえない。
思考は閉じた回路である。
けれどその閉鎖性は、決して貧しさを意味しない。
むしろ、他者なき思考のうちに、
どこまで遠く、深く、自由に届くかが試されている。

いとおかし

うさぎ
自分の視点で考えたい
けど、他者に言葉や思考を渡すときは、
相手が無理なく受け取れるかたちに整えます
✨あたる✨

みこりん

かつ
他者の存在が無かったら思考できるかどうか考えるため、無人島に一人で生まれて一人で育った人が仮にいたらと想像してみました。
たぶんその人は言葉が話せないでしょう。思考に必要な言語がないから深い思考するには限界があるのではないかと思います。
ただ、たとえば嵐で揺れた木から実が落ちたのを見て木を揺らすことで実を得ようと思ったり、鳥が巣を作る様子を見たりして籠のようなものを作ることを思いついたりといったことはできるのかもしれないと思いました。
木を揺らした嵐や巣を作った鳥のような、人ではない存在も「他者」に含むとしたら、思考というものが始まるためには他者が必要になるのだろうと思います。

あずき
他者がいないと
自分と言う者が
分からないから。
🌷🕊・.。*・.。*🫧✨

るる
1人が続くと視野が狭まる
リクリ
ただし、否定ばっかりするような人間ならいない方がマシ。

若
答え合わせしないなら、思考ではなく妄想になるかと……
꜀( ˙꒳˙ ꜀)ハー
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