「努力そのもの」だと思っていますどなたか忘れてしまいましたが、「報われるやつもいれば報われないやつもいる。でも成功した奴らはみんな必ず努力している。」とおっしゃっていました。個人にどんな事情があるからと言って努力の積み重ねだけは平等に図られると思っています。個人的にこの話は「努力する」ことが美学であって、「その努力の方向性」となってくると話は別になります。ちなみにもし努力が才能に負けるとするならば神の悪戯だと思いたいですね…
美学どんなに崇高なことを考えていようとも、動けなければ、ただの口だけ野郎。私は、私の美学を基準に行動を選ぶ。けれどもし、身体の自由が奪われたなら。老い、病、力の衰え。そのとき私は、私の美学に、静かに裁かれる気がする。あるいは――美学そのものに、命を奪われるかもしれない。私にとって美学とは、高すぎる理想だ。生き抜く術とは何だろう。理想を捨てることか、美しさの定義を変えることか。それとも、矛盾を抱えたまま――呼吸を、つなぐことか。
「美」は自然、人工物で美しくある姿(仮)(異論は認めます)ですが、「美学」は他者の視線を感じて、自らが取る態度・姿勢だと思います。そういう意味では、他者の視線のために自らの態度・姿勢を変えるということはあまりないので、美学はないということになるのでしょう。身だしなみや話し方などがどうでも良いと言うことではなく、自分がありたいと思うようにするだけです。