恋愛の必要性を、愚行権の行使や自信形成といった多角的な視点から考察し、哲学・心理のエビデンスを踏まえて論じるとしたら、あなたはどう答える?
「必要ない」と切り捨てた先に残るものは、自由か、それとも恐れか?

もちょ
人は恋愛をしなくても生きられるし、自己理解や他者理解、成長や幸福も、必ずしも恋愛を通さなければ得られないわけではない。
ただ一方で、恋愛には独自の作用があるとも思っている。
他者への強い欲求、執着、不安、期待、承認欲求、独占欲のようなものが表面化しやすく、自分の内面や未処理の部分がかなり露出しやすい。
そういう意味では、恋愛は自己理解を深める契機にはなりうる。
でも、それは恋愛が必要だからというより、恋愛が人の深い部分を揺らしやすい構造を持っているからだと思う。
だから、恋愛を経験しないことが欠落だとは思わない。
恋愛をしないことで守られる自由や安定もあるし、恋愛をすることでしか見えないものもある。
結局のところ、恋愛を必要とするかどうかは、その人が人生に何を求めているかによると思う。
深い揺さぶりや相互作用を通して自分を知りたい人にとっては価値があるかもしれない。
一方で、恋愛以外の形で十分に満ちている人にとっては、必須ではない。
だから、「必要ない」と言ったときに残るものは、自由である場合もあれば、単に今の自分には優先度が低いというだけの場合もある。
必ずしも恐れとは限らない。
ただ、その判断の背景に、自由、無関心、未成熟、回避、あるいは十分な充足のどれがあるのかは、本人が丁寧に見た方がいいと思う。

かざ
拒むことができないものに近いと思うけれども…
強いて言うなら人間であることを捉え直すいい機会として必要だと思うかな
恋愛は
そこに生じた感情を
ただ"そこにあるもの"としてしか
認識できなくなること、操作できないものだと思う
自分の思い通りにならないものが自分のナカにすら存在することを知る機会にもなるし、
自分を振り回してくるものが自分の中に存在することを認識できるようになると思う
自分が理性と感情をもつ人間であることを捉え直す良い機会になると思うし、感情が必ずしも愚かだったり敵ではないことを知る機会になると思う

ヒロ
相手を引き寄せる為に、自分をよく見せるようとして、何かに励み、その結果、何らかの効果が得られて、それがもとで自信を得られることがあります。
但し、オスとメスにつき、哲学というよりは、動物的な側面がある方が自然ではないかな?

にぶ
お互い様。とか、相性とか。向き合い方。とか。
いろ。あるよね。って思う。
心の病気になって、より恋愛感情なんて持てなくなった今。
恋愛感情に振り回される心の体力が羨ましい。

そう
リクリ
でも、人間は感情や理性を持つ生き物。信頼や安心感のある関係は、子育てや共同生活を安定させる意味で機能的。
だから恋愛は、単なる感情じゃなく、信頼を築く“儀式”にも思える。
ただ現代では、恋愛を「不要」と感じる人も増えていて、他人に期待しない。子どもも望まない。でもなんとなく誰かとつながりたい。
そういう流れが、恋愛の形骸化や多様な関係性の広がりを生んでいるのかもしれない(LGBT+Qとか)
それでも人が恋愛に惹かれるのは、自分の「欲」に正直だから。たとえ傷つくとわかっていても、手に入れたいと思う。恋愛は、理性じゃ割り切れない“愚かさ”の中にある、強烈な生の実感なのかもしれない。
などと考えてみたり( ˙꒳˙)

アシキ
なぜなら結婚してから必要な感情と思うからです

愛善院
「利便性の解」つまり、そうしたほうが生物的な高揚感がある、と解きます。
安室

犬飼亀戸
もっとみる 





