恋愛の必要性を、多角的に考察できるか?
恋愛の必要性を、愚行権の行使や自信形成などの多角的な側面から考え、
心理学的・哲学的なエビデンスを踏まえて論じるとしたら――
あなたは、どのように答えるだろうか?

あお
自然界における弱肉強食の構造に照らせば、我々は明らかに“弱”に分類されるべき存在であるにもかかわらず、思考能力という一点において優越性を有するがゆえに、あたかも頂点に立つかのごとく振る舞っている。
にもかかわらず、いざ理性が試される局面においては、臆面もなく「本能」なる曖昧かつ原始的な衝動へと逃避する。
理性を標榜する一方で、本能を免罪符とするその態度は、まさに欺瞞の極致である。
ゆえに恋愛など欺瞞の結晶。

なゆきち55

ぐち💤
恋愛が無くとも結ぶ事が出来るパートナー制度。
家を残す為に当人の自由意志を無視できる。
でも
その当人たちも長年連れ添うことで、
互いに掛け替えの無い存在になることがある。
この関係には「愛」が生まれているのではなかろうか。
というのが昔の話。
今日に於いては「長年連れ添う」ことが当たり前ではなくなってしまった。「合わなさ過ぎて我慢できん」「一緒にいるとストレスでしかない」というケースがしばしば。耐える理由も無い。
「長年連れ添う」為には、ある程度の価値観の擦り合せや、相互に共感・尊重できる関係性の構築が必要に思えてきました。
「この人となら連れ添えるかもしれない」
そんな期待感≒恋なのだと考える今日です。
柄になく流行りにのってしまった[泣き笑い]
代償で暫く静かにしとこうかな[泣き笑い]

たけぽん

ラウリル

シス
何故なら恋というイベントは思春期を迎えるとホルモンの影響により、増加していき、三大欲求の一つとなる性欲が誕生する。これは繁殖活動における重要な要素の一つとなる。
誰しもが(特に男性)は恋というより、繁殖活動そのものの比重が大きくなり、性欲を満たす為の恋という図式も存在してくる。これは繁殖活動において、必ずしも恋愛が必要ではない事を証明している。
ただし、現代の倫理観と揃えて話をするならば、お互いの同意なしでの性行為は犯罪であるとみなし、生物本能的に行う性行為は認められてはいない。
これは人類が進化(?)した結果なのかわからないが社会性という組織体系を作り出した故に起きた現象であり、人間の増加そのものをある意味限定し始めたともいえる。
ヒトは無意識化にこれ以上の人口の増加を望んではなく、減少させたいと考えているからこそ、現代の社会性が生まれたのかもしれない。

PF

たっつー
愚行権とはなんでしょうか?信用形成とはなんでしょうか?
愚行権の視点からだとどう見えますか?
信用形成からの視点だとどう見えますか?
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