暫定的ですが、頭の中で起こる事は全て思考なのかなって考えてます感情や欲望など自分の内に生じるものから、知覚した諸々の現実など自分の外にあって感じるものまでも、自分自身が引き寄せている(選んでいる?)様な感覚がありますそれらを「言葉」として名前を付けて区別し、文脈というべきか論理を意識する事で、それらの関係を定義するのが意味付けすると言う事だと思います一方で、一見すると繋がりのない無意味な言葉や情景が次々と浮かんでくる事があります夢を見ている様な感じですが、意識はあります意味付けという事では分かりませんが、何かが起こっているのは確かだと思うので、この不思議な現象も含めて思考だと定義したいです夢も思考している感じがしますしそうなると、明確な基準を持ち出しづらいですね何かを引き寄せているのか、そうでなく何かが起こり続けているのを認知しているだけなのか、それすらも分からない未知の領域ですなので、色々考えた結果が雑になってしまいますが、少なくとも現時点では、頭の中で起こる事は全て思考であると考えてます
思考とは、感覚が生んだ無数の泡が、私の中でぶつかり、混ざり、意味になろうとする過程です。見たもの、聞こえたこと、触れた刺激から、とりとめのない思いや映像が脳内にスパークし、ふくらんだり、ほどけたりしながら、私の頭の中を満たしていく。それらは明確な答えを出すわけではないけれど、ただ眺めたり、遊んだりするその営みこそが、私にとっての「思考」です。そしてその思いや思考のひとつひとつが、私という存在そのものだと思っています😊
私にとっての思考は、問いをきっかけに具体と抽象を行き来し、「構造化」と「意味づけ」をする営み。意味づけによって、一見バラバラに見える出来事や感情にも一貫性が生まれ、それが自己理解や他者理解を深めてくれる。理解が深まることで、自分なりの判断基軸ができ、無駄な迷いが減り、時間の使い方にもメリハリが出る。その結果、人生の質が高まり、幸せになれると信じている。
思考とはどんな酷いことでもこの世界で許されないことでもありえないことでも自由に考え無限に広げれるもの。思考とは、頭で考え、頭で深く掘り下げ、頭で考察するものであって簡単に口に出せるようなものでは無い。思考とは、止まることなく人間が死ぬ時まで続く、人生で1番使うもの思考とは、主観で考えることも出来、客観で考えることも出来る。思考とは自分の考えであり、絶対的確証を持った事実では無い。思考とは、自分の無限大の考えを生み出せる素晴らしいもの。
・合理的視点や論理的視点で考えて正しいか・文化的視点や客観的視点で考えて共感可能か・自分の主張が正しく盛り込まれているか※予防線を張れているかあたりでしょうか。専門性は持ち合わせていないので、割と肌感覚だとは思ってます。
知覚した情報を、記憶している情報(過去の「思考」の出力が時間を経て一部変性したもの)と関連付け、構造化し、拡張(Augumantation=実際には現在も過去にも知覚したことがない情報を生成付加)することによって、構造化された新しい情報パッケージを生成する、ヒト脳の働き
思考とは答えではなく問いを生む装置である。思考とは自分のための正解を見つけるものではなく、他者と共有できる問いをつくるための行為。答えを出すだけなら、思考じゃなくて処理。問いを育てられてこそ、私は思考してると感じまする!!