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人は何をもって人として扱われるのか?

かなう

かなう

別の切り口から考えてみましょうか。

本質は「人は何をもって人として扱われるのか」ではなく「人は何をもって人として扱うのか」に集約される。
自身の自己と同じように他者の自己も認める姿勢と言動行動である。

昔、マルティン・ブーバーと言う学者がいて、人との関わり方を大きく2つに分けました。
「我-それ」と「我-汝」。

我とはもちろん自分の事。

相手を、自分と同じような自己を持った独立した存在として関わるのを「我-それ」と表す。
相手を、自分に従属する物として関わるのを「我-それ」と表す。

自我中心で世界を見ると、他人をNPC(Non-player character)のように扱ってしまう。他人は自分の世界の登場人物でしかない。
主人公は常に自分に固定される。「我-それ」の世界観がデフォルトである。

自我は、自分が他人と異なるのだと知り、環境や他者に欲求・要求を求める事で原始的なアイデンティティを得た状態である。
自己とは、社会や他者との関係性の中で規定される自他の差異と共通点を分ける事で生じる上位のアイデンティティを得た状態である。
自分と他者を対等として認知する事で得られる「我-汝」の世界観である。

ここで「我-それ」と「我-なんじ」の関係性のどちらが人として扱われる態度だろうか。

「我-汝」であろう。
自も他も同様に尊ぶ姿勢が人をして人とならしめている。
「我-それ」は自を尊び他を軽んじる姿勢である。
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Chara(キャラ)

Chara(キャラ)

人間を人間たらしめているのは
「人格」と「記憶」 という情報だけです。
これらの情報が揮発したならば

これを「死」と定義するのが妥当でしょう。
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かなう

かなう

人として扱われないには人は何を持たないのか
う〜ん、これを証明すれば最初の命題に答えられるかな。

1)は関心かな。
関心を持たないと相手は単なる他人若しくは物として扱われる。

2)は敬意かな。
敬意とは自分の尊厳を認めるのと同じように、人に対しても尊厳を認める意識だからね。これがないと相手を尊厳を持たない存在として扱うからね。

3)は同じ人としての共感かな。
共感がないと人を意思の通じない他の種として扱うからね。人を種としての同輩と見られないと、驚くほど残酷になれるか、意思の通じない自分とは種の違う単なる動物のように人を扱うし、物に対して抱くような無機質感を持つ。

取り敢えずこんな所かな。

よって、関心・敬意・共感が合って、人を人として扱えると考えられる。
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まさ

まさ

意思の疎通
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A Y

A Y

理性。
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豚の小間切

豚の小間切

極論だが、日本においては妊娠した赤ん坊を堕胎できなくなった時点で「ヒト」として扱われるのだろう。それ以前なら命を手にかけることが許される。
そして「戸籍」が登録された瞬間、「ヒト」は「人」となり「人権」を得るのだろう。ひどい話だが、かつては「人権」のなかった「ヒト」は奴隷として扱われていた歴史がそれを証明している。
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カズぴょん

カズぴょん

一人は、🥢を持って人である
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🦞たか🦞

🦞たか🦞

知らん
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たなか

たなか

人は感情と愛を持って人として扱われると思います
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かえる

かえる

己の欲せざる事は他人に施す事勿れ。
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