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人は何をもって人として扱われるのか?

たかし

たかし

荷物を持って❗️

他の動物はモノを持てないから😎
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#45

#45

納税。
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みそ

みそ

話し合いで解決できたり、会話で意思疎通できることですかね?
暴力に走るやつ(旦那)は人じゃない😇
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やました

やました

固有の価値観と経験があること、意思疎通ができること…とか??
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はやいり

はやいり

それは、魂と行動の問題じゃと思ふ。そして人間は考える生き物で理性的生き物じゃ!それをもって、それをしてこその人間はひととして認めてもらうのだと思う。然しながら難しいね!
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のぶちゃん🍅

のぶちゃん🍅

人のために動き、社会のために行動できた時
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かなう

かなう

別の切り口から考えてみましょうか。

本質は「人は何をもって人として扱われるのか」ではなく「人は何をもって人として扱うのか」に集約される。
自身の自己と同じように他者の自己も認める姿勢と言動行動である。

昔、マルティン・ブーバーと言う学者がいて、人との関わり方を大きく2つに分けました。
「我-それ」と「我-汝」。

我とはもちろん自分の事。

相手を、自分と同じような自己を持った独立した存在として関わるのを「我-それ」と表す。
相手を、自分に従属する物として関わるのを「我-それ」と表す。

自我中心で世界を見ると、他人をNPC(Non-player character)のように扱ってしまう。他人は自分の世界の登場人物でしかない。
主人公は常に自分に固定される。「我-それ」の世界観がデフォルトである。

自我は、自分が他人と異なるのだと知り、環境や他者に欲求・要求を求める事で原始的なアイデンティティを得た状態である。
自己とは、社会や他者との関係性の中で規定される自他の差異と共通点を分ける事で生じる上位のアイデンティティを得た状態である。
自分と他者を対等として認知する事で得られる「我-汝」の世界観である。

ここで「我-それ」と「我-なんじ」の関係性のどちらが人として扱われる態度だろうか。

「我-汝」であろう。
自も他も同様に尊ぶ姿勢が人をして人とならしめている。
「我-それ」は自を尊び他を軽んじる姿勢である。
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ミュ~

ミュ~

どんな人も同じ人には代わり無い。
人間はどうしても差別、偏見、見た目などで自分以外を見てしまうけど(自分も)
人として産まれて来た事になにも変わらないし、扱われ方なんて他の人が決める事では無いかな…。
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かなう

かなう

人として扱われないには人は何を持たないのか
う〜ん、これを証明すれば最初の命題に答えられるかな。

1)は関心かな。
関心を持たないと相手は単なる他人若しくは物として扱われる。

2)は敬意かな。
敬意とは自分の尊厳を認めるのと同じように、人に対しても尊厳を認める意識だからね。これがないと相手を尊厳を持たない存在として扱うからね。

3)は同じ人としての共感かな。
共感がないと人を意思の通じない他の種として扱うからね。人を種としての同輩と見られないと、驚くほど残酷になれるか、意思の通じない自分とは種の違う単なる動物のように人を扱うし、物に対して抱くような無機質感を持つ。

取り敢えずこんな所かな。

よって、関心・敬意・共感が合って、人を人として扱えると考えられる。
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まる ฅU•ω•Uฅ

まる ฅU•ω•Uฅ

扱われる?誰から?それがわからんと答えようがない。言葉足りず。言葉遊びかも。
私は頭悪いので、難しいことわかんねーww
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