人は感情を優先し、思考や認識を歪めることがあります。もし心というものがあるのなら、意識や思考はその奴隷に過ぎないのでしょうか。
すみれ

まりまり

えるえふ(↵)
「心してかかる」という表現があるくらいなので、意識や思考から影響を与えることも可能では無いかと。
なので隷属関係には無いと考えます。

II
心の定義を全身の反応だとすると、意識、思考はその前プロセスです。

奏いち

たくひら
そして心というものは、この情動・感情・思考や理性を覆い被すようにうすーく乗っている膜のようなものを指してるのではないでしょうか。情動だけ、感情だけ、理性だけ、というよりも、情動の発生原因から理性の結末まで一括りで、でも括るほどの強さでもなくフワッと。そんな感じですね。

sin
新幹線で襲われた女性を助けようとした男性が刺されてなくなりました。実際にあった話ですが、これを例に第三者の立場で考えますと、
心は人は大切である。
意識は男性1人で戦っている。
思考は自分が行けば助けられるかもしれない。
感情は怖いけど逃げて後悔したくない。
行動は男性を助けに行く。
心は意識や思考を奴隷とみることもできますが、意識や思考で変えることもできます。
意識は女性が襲われ男性が助けている。
思考は人は大切だけど自分の身も危うい。
感情は怖いし危険。
行動は逃げる。
つまり、心の奴隷と見るのは一概に言えないのかも。意識や思考は心とは裏腹に行動を変えてしまうこともあり得ると考えます。
さんゆう
1+1=2ではない
だから人って面白い
意識や思考は奴隷だという考え方は
ちょっと違うと思う
克 (かつ)
その結果誰かをわざわざ不幸にせず、その人が幸せなら解釈にはあまり意味がないように思います。

やまだ(仮)
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