簡単なことを難しく考える。と、難しいことを簡単に考える。この違いはなんですか?※本文あります。
哲学の星や「見つける🔍」を見ていると、
「簡単なことを難しく考えている」
というコメントを時々見かけます。
そこで疑問に思いました。
「簡単なことを難しく考えている」と言う人は、
本当に難しいことを簡単に整理して考えているのでしょうか。
それとも、そもそも最初から簡単なものとして見ているのでしょうか。
「簡単なことを難しく考える」
「難しいことを簡単に考える」
この二つの違いは何だと思いますか?
どちらが正しい・正しくないということには、
こだわっていません。
あなたがこの二つをどう捉えているのか、
あなたなりの概念として回答してください。

えるえふ
難しいことを簡単に考える→知ってること、各工程に名前がある
の違いなんかな、と。命名って大事。

クロネク
簡単とは結論と考える
結論だけなら簡単だが、理由まで考えると難しくなるのではないかと思われる。
すなわち同一であり、視点や考え方、見方で簡単と難しいは変化すると思われる。

ケイ
あたまのよい人が考えること。

新しい遊びの提案
本当の意味で理解できているのが、難しいことを簡単に考える

𝒘𝒐𝒍𝒇🌕
なるものはなる

けい
簡単なことを難しく考えることと、難しいことを簡単に考えることは=ではないのでは
難しいことは難しい
だからうんうんと考える
単純明快なことまで小難しい表現でこねくり回す必要はない、それは単純だから
簡単なことを難しく考えていると誰かに指摘するひとが難しいことを単純化している必要はないです
「俺は簡単なことも難しく考えちゃうんだ」って自称してる場合は
その人にとっては何かのひっかかりがあって気になってしまうか
ただ目の前のものを捉えきれていないだけです
私は簡単なことも3日間くらい悩みます
でもみんなにとって簡単ってだけで、私には難しいです
掛け算とか

るぅ∞🐈⬛ ͗♪
運動不足とか 暇な時間がおおいかな
難しいこと簡単に考えるのは
まずできることからか 難しく想えることでもじつは簡単なことかもしれない?
くまのプーちん
例えば、腕を振るという行為について考える
これは簡単に考えるならまさしく「腕を振る」というだけ
しかしその裏には大脳皮質に端を発する無数の神経系の連鎖的な発火や信号の伝達、筋細胞のナトリウムチャネルやカルシウムチャネルなどの反応、アクチンフィラメントのATPを使った収縮反応など、「複雑な見方」が隠れている
ただこの複雑な見方も、一つ一つを分解してしまえば、さながらレゴでできた建造物を一ブロックずつ剥がすかのように「簡単な見方」の集合として扱える
じゃあどちらが良いのか、どちらを選ぶべきなのかは、考えたい事柄をどう捉えたいか次第
腕を振っている様子を絵で描きたいだけなら神経だの筋繊維だのは考えなくて良いし、なんぞ医学的薬理学的なことを考えるなら化学反応レベルで捉える必要がある
まあ理想はどの段階の考え方もできるのが良いのだろうけど、そこは個人の能力や興味関心次第
bucktick

オカキ
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