哲学に興味があります
愛について、哲学的に語りたいです。
高校で倫理を学ぶことで実存主義に惹かれました。私が生きているという実感を得るために学びたいです。亡き母への私の思いは愛なのでしょうか。

えるえふ(↵)
愛情のある家庭だったと想像します。

🌈よっさん
①認める
②許す
③手放す
④受け入れる
⑤受け取る
まぁ、これは鉄板やけど

たくひら
私たちは自分の存在について「何かをしたら何かが返ってくること」を指して「手応え」と言います。この「手応え」の連続が自分の存在の実感・生の実感になると考えてもいいかもしれません。
しかし、ここでの問い主は、「亡き母への愛」という言葉を記しています。もし「亡き母への愛」という自分の愛が、もう返答されない愛であるとするならば。つまり「母への愛」に対して自分の生も含めて「手応え」や「実感」が掴めないことを意味している。これは実に辛い感覚だと思います。
このようにイメージしていくと、この問いは「私は亡き母に向けて言葉を投げている。しかしもう返事はない。返答が返ってこない世界の中で、私はどのように生の実感を感じれば良いのだろうか?」という実に実存主義らしい問いと私には読めました。
確かに人が存在するということは、世界との応答そして反応を通じて自分というものを理解していくことで世界に在れるということが言えると思います。私はこの問いに明確な答えを持ち得ません。なので、もしこの読み方で大きく外れていないのであれば、ぜひ一緒に考えてみたいと思いました。私もまたそうして世界に何かを投げかけ、その返答を受け取っている存在です。まずはこれを最初の答えとして、もし良かったら何かしらコメントをいただけると嬉しいですね。

世紀末覇者ラ王
それをどう「愛」と感じたのかも、本人にしかわからない領域なのかな、と。
私は、愛は一つの定義では括れないものだと思っています。
関係性の中で先に「愛」という定義があって、それに人が当てはまるのではなく、そんなふうにさんと亡きお母様との関係が先にあって、後から「これは愛だった」と意味づけされていくものなのではないか、と。
そして、その思いをどう受け入れ、どう自分の中で引き受けていくのかも、そんなふうにさん自身の領域だと思っています。
その想いを自分のものとして引き受けた時、後から「自分はこう生きてきた」と意味が生まれる。私はそれも実存の一つなのかなと思っています。
私も父を亡くしています。
私は亡き父への愛をそんなふうに受け取っていますし、その受け取った愛を、自分の息子や娘へと形を変えながら渡していこうとしています。
あくまでも私の実存として。ですが😊
ソマチッド
見習い
感情は、愛を検出する手掛かりにはなるでしょう。
でも、好きだから束縛する、失いたくないから嘘をつく、といったこともできる。
だから、その感情が本当に愛なのかは、そこから精査する必要があると思います。
私が愛の一つの条件だと思うのは、“相手や自分にとって都合の悪い真実・事実から、視線を逸らさないこと”です。
「傷つけたくないから嘘をつく」というのも、相手への配慮に見えて、実は自分が相手の傷つく姿を見たくないだけなのかもしれない。
本当に愛と呼ぶなら、嘘で現実を隠すのではなく、事実をどう伝えるか、そして伝えた後にどう受け止め、どう向き合うのかまで考える必要があるのだと思います。
これは、マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉を、もう少し細かくしたものとも言えるかもしれません。
無関心とは、単に興味を持たないことだけではなく、相手や現実に関心を持ちながら、自分に都合のいいように歪めたり、見ないことにしてしまうことも含むのではないでしょうか。
愛とは、相手にとって都合のいい現実を与えることではなく、現実を共に見て、その現実にどう向き合うかまで共に考えること。
私は今のところ、そんなふうに考えています。
もちろん、これもあくまで私自身の仮説ですが。

