質問の本質について
本質について語るみたいなのはあまりやらないけどテーマとして面白そうだったからやる。
俺は質問の本質とは、
受け手に応答できる余地を生む情報を与えること
だと思っている。
なぜなら言葉はなくても世界は問いかけてくるものだからだ。
雨が降っていても、
「傘さす?」なんて聞いてこない。
外が寒くても、
「上着着る?」なんて聞いてこない。
でも人は、これらの情報に答えるものだ。
ならば、何についての質問なのか。どの選択肢から答えて欲しいのか。
こういった言葉はオプションに過ぎないんだ。
世界は、社会は、そして自分自身は
あなたにどんな質問をしている?
そして、ここから何を受け取って何に答える?
好きなように選択肢をつくってくれ。
たれぱん
例えば、私は「世界」に対して質問はありません。「世界」に対しての「問い」は人生に行き詰まった時に、「世界」に「問う」かもしれないし、「世界」から「問われている」と感じるかもしれないです。

たくひら
とした時に、質問とは何か?と問われると、まず質問とは人間が生み出したものではないでしょうか。質問は誰かが生み出している。問いは世界が生み出している。
こう考えていくと質問は、「誰かが誰かの返答を求めて生み出された言葉」と言えるかもしれません。そして、その返答にもまた人の多様性が見えてくるから面白いなぁと思いますね。

サト
世間に哲学的命題を見出しても
受け手が勝手に見出してるだけで
世界が質問してきてるわけではない
本文にもある通り
世界はなにかきいてきてるわけではないから
僕は質問の本質は
「対象に反応を求める行為」
かなと思った
質問の主観は問う側だと思うから

