共感で繋がるSNS

質問の本質について

本質について語るみたいなのはあまりやらないけどテーマとして面白そうだったからやる。 俺は質問の本質とは、 受け手に応答できる余地を生む情報を与えること だと思っている。 なぜなら言葉はなくても世界は問いかけてくるものだからだ。 雨が降っていても、 「傘さす?」なんて聞いてこない。 外が寒くても、 「上着着る?」なんて聞いてこない。 でも人は、これらの情報に答えるものだ。 ならば、何についての質問なのか。どの選択肢から答えて欲しいのか。 こういった言葉はオプションに過ぎないんだ。 世界は、社会は、そして自分自身は あなたにどんな質問をしている? そして、ここから何を受け取って何に答える? 好きなように選択肢をつくってくれ。
たれぱん

たれぱん

「質問」と「問い」は言葉の定義が異なると思っています。「質問」は何か目的があって、その目的のために情報を提供してもらう手段で、目的が達成できた時点で質問の役目は終わると思ってます。「問い」は目的がなくても、問われているように感じるといった使い方もあり、哲学に近い感じがします。

例えば、私は「世界」に対して質問はありません。「世界」に対しての「問い」は人生に行き詰まった時に、「世界」に「問う」かもしれないし、「世界」から「問われている」と感じるかもしれないです。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY5
たくひら

たくひら

「言葉はなくとも世界は問いかけてくるもの」おっしゃる通りだと思います。私も問いとは、そういう「世界からの問いかけ」に意識的無意識的問わず出会った時に言葉に登ってくるものだと思います。
とした時に、質問とは何か?と問われると、まず質問とは人間が生み出したものではないでしょうか。質問は誰かが生み出している。問いは世界が生み出している。
こう考えていくと質問は、「誰かが誰かの返答を求めて生み出された言葉」と言えるかもしれません。そして、その返答にもまた人の多様性が見えてくるから面白いなぁと思いますね。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY
サト

サト

問と質問はレイヤーが違うかなと思いました
世間に哲学的命題を見出しても
受け手が勝手に見出してるだけで
世界が質問してきてるわけではない
本文にもある通り
世界はなにかきいてきてるわけではないから

僕は質問の本質は
「対象に反応を求める行為」
かなと思った
質問の主観は問う側だと思うから
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY3