言葉にすると世界は不完全になる
「正しいことを言うこと」は「正しいこと」ではなかったりする。
例えば自分より頭が悪い人がいたとして、
「お前は俺より頭が悪い」と口にすることは
まあ、正しいことではないだろう。
真実であることは、発言が正しいための十分条件ではない。
だとすれば、真実を言葉で表現したものは必然的に不完全になる。
だから人は不完全な世界の中で、少しでもマシになろうと日々成長しているのだろう。
だが、言葉にしているうちは完璧にはなれない。
でも俺が思う完璧な世界の最低条件は、
完璧ではないことだったりする。
なぜなら不完全の中に面白さがあるからだ。
最後に、この文章にも不完全な部分はいくらでもあるだろう。この不完全さを面白がってくれても、突ついてくれても構わない。
あなたの''不完全な回答''を俺は面白がるから。

ナトル

たくひら
私たちは「認識した」と言語によって意識化する前に、世界から何かを受け取っている。或いは自分の中から何かが産まれようと・産み出そうとしている。それを「認識」という形で「言語化」する以外の方法で、他者とコミュニケーション出来ない。外に取り出すことができない。だから、その不完全な道具を使ってできる限り、精緻に確実に正確に言葉にしようとする。でも、この精緻に確実に正確にする行為すら、不完全な言葉を使って確認していくしかない。
しかも、この言葉はそもそも私たちの中にあるものではなく、誰かに教えてもらい、誰かが使った跡をなぞる様に、私たちはその言葉を取捨選択している。しかもその取捨選択の基準ですら、世界から与えられた今までの経験に左右されたりする。
私たちはいったい何を認識し、何を発話しているのでしょう。翻って、何を私たちは完全と呼びたがっているのでしょうか。
もしかしたら、私たちは正確に言葉によって世界を表しているのかもしれません。どうなんでしょう?私はどちらの確証もなく、ただただ「とりあえず、これでいったん良しとする」しか言えないでいます。

こう
言語間や個々人の認知の違いでも世界の捉え方は変わっており、その認識の違いを埋めてコンセンサスを得るために人は一番の時間と労力とお金を費やしてるのでは。

サト
世界も不完全
それなら
言語化された世界は
当然不完全だと思う

オール・リリコ
見習い
例えば、人間の認識そのものが仮説に過ぎないのであれば、言語化する前から認識の段階で不完全だったとも言えます。
また、言語化は単に現実を切り取るだけでなく、物事を細かく分類し、それまで見えていなかった違いを認識する手段にもなります。
なので個人的には、言葉が世界を不完全にするというより、言葉によって自分の認識の限界や、世界の細かな違いが見えてくるものだと考えています。
私は「完全」「不完全」「正しい」「間違っている」などとされたものも、常に〝仮説〟として扱います。

