迷路の中で通った道って、自分で考えて選んだ道だと言えると思う?
迷路の中ではどれが正解の道か考えながら進むよね。
でも迷路って最初から正解の道って決まってる。
回りくどい一本道。でも、自分でちゃんと考えて選んだ道だという感覚だけはある。
なにが言いたいかって言うと、
俺たちが何かを考えて行動してると思っている時、それは誰かがつくった迷路の中で「右か左のどっちが正解か」を考えてるだけだったりすることもあるんじゃないかってこと。
まあ、全部が全部迷路の中だと思ってたらただの陰謀論者になると思うけど、自分が今どこにいるのかは見失わないようにしたいね。
あなたは今、どこにいる?

風の音
また、迷路の中を迷い進んでいるという感覚よりは「登山をしている(いた)」感覚で人生をとらえています。
登山って、一見麓から頂上まで登っていくだけのように感じますが、一人一人歩幅が違うので、同じ登山ルートでも踏む岩が違ったりルートが違ったりします。
体力や登る速さもそれぞれなので、中継ポイントが違ったり共に登る人がいたりいなかったり…
そもそも登る山も違います。
頂上に届きそうなのにそこは小ピークで下らざるを得なかったり、崖から滑落する人もいたり断念する人もいたり…
迷いながら生きるというよりは、選びながら生きてますね[笑う]
それでも、自分が選んだその山は、一つの迷路として考えれば地球が作ったものの中で選んでいるに過ぎませんが、おそらく作ったもの(人に例えるなら神がかりななにか)には森羅万象がその人の考えた通りに動くことはないように思います。
迷路にしても、正解は一本道に見えますが、突き当たったら壁を壊したりよじ登ったり穴を掘ったり…、人によっては入り口に入らず外の壁を伝って出口にたどり着いたり「選びながら」たどり着く人もいるかと思います。
作った人には想定外の出来事じゃないでしょうか[笑う]

ナトル
または複数人が右に行ったのに1人だけ左に行くみたいな行動したらば それも自分の意志で動いたの行動だと思います

pophat
右か左かの選択を考えるなら、それ以外にもっと面白い選択肢がないかも考えるのが、自分の人生じゃないかなと[泣き笑い]
その何物かのルールに従うより、何物かも驚かせる様な選択が出来た方が、その何物かももちろん自分もお互い楽しくやれるんじゃないですかね

じゃんく
人は常に誰かがつくった迷路の中にはいると思う。
その「誰か」って言うのは他人や組織だけの話ではなく、
社会、科学、論理、感情、宗教、時代、関係、経済、道徳、法律、、、など
いろいろあると思う。
もちろん「世界」とか「宇宙」みたいな巨大な迷路もあれば「自分の価値観」だとか「今日なに食べるか」
みたいな自分でつくれる小さい迷路もある。
そして、考えるということについて、
「今いる迷路の中でゴールを探すこと」も、一応考えているとは思う。
でもその前に「どの迷路で迷うか」
これを考えることも大切だと俺は思うんだ。

