「『価値がある』という誰かの記述は、価値を誰かが発見したことを意味するのか、それとも誰かが価値を付与したことを意味するのか?」
後期ヴィトゲンシュタイン/フッサール/バルトの世界へようこそ。

ナトル
その人にとっての価値であり、 第三者または自分にとっては無価値なものだったりします価値がもし合うのであれば ただ ただ 波長があっただけか 話をあわせただけだと思います

じゃんく
存在と存在を結んだときに現れる「関係」だ。
例えば、
「1000円札」と「1200円という値段が付けられているもの」の2つが存在したとしよう。
この2つの存在は結ばなくても
・差額200円
・比率5:6
・1200円の方が20%高い
みたいな関係はある
そして、実際にこの2つを結んでみると
「200円足りない」という関係が現れる。
これと同じで誰かにとって「価値がある」と感じることは、「人」と「物」2つの点が結ばれたときに現れる「関係」だと思う。
だが、関係というものは2点だけではない。
今回のあなたの例でも、人、物、文字
少なくともこの3つ以上の点がある。
人と物が結ばれて「価値」
という関係が生まれた。
さらにそこに文字が結ばれて「記述」
という関係が生まれた。
これらの関係は結ばれる前から可能性の1つとして存在している。
だが、価値が必ず文字に結ばれるとは限らない。
それはきっと「価値を感じた人」と「世界」の関係によって決まるものだろう。
つまり、「価値」とは発見したり、付与したりできる「存在」ではなく存在同士を結んだ時に現れる「関係」だと俺は思っている。

釣りパパ 陸戦型
この場合、価値を付与するとなるので、価値が「ある」という表現にはならない。
価値がある、という言葉の用法を考えて、「メリット」と言い換えた方が分かりやすいかもしれない
メリットがある、ない、とは誰かが与えたものでも発見したものでもない。
発見したとするなら「メリットを見出した」となるだろう。

男60GTアゲイン!
価値の有無自体が主観的な要素を含むので、価値の発見とか付与とか他の意見を自身がどう捉えるかではないですか。

世紀末覇者ラ王
例えば水で考えます。
普段は水道水を水筒に入れて飲んでいて、
「わざわざ水を買うのはもったいない」
と思っていたとします。
この時点では、「水分補給できる」という水の価値は認識していますが、「水道水で十分」「お金を払ってまで買う必要はない」という価値観で、水をランクづけしています。
ところが暑い日に水筒の水がなくなり、仕方なく自販機で水を買った。
飲んでみると、「カルキ臭がなくて美味しい」という、それまで自分が重視していなかった性質に気づいた。
ここで初めて、
「飲みやすさ」「美味しさ」という価値を発見したことになります。
そしてその発見によって、
「安さだけでなく、味や飲みやすさにも価値がある」という新しい判断軸が、自分の価値観に付与される。
すると次からは、
水道水と市販水を、価格だけではなく、味・飲みやすさ・利便性などでも比較するようになります。
つまり、
発見された価値が、次の価値判断の基準として価値観に付与される。
のだと思います。
これは本人が直接体験しなくても起こると思います。
例えば毎朝お弁当を手作りしていた人に、「この冷凍食品、美味しいですよ」と誰かが教えたとします。そこで、「冷食を使えば朝の支度が楽になる」「時間に余裕ができる」という、自分にはそれまでなかった価値を発見する。
すると、
「手作りであること」だけを重視していた価値観に、「時間を節約できること」「負担を減らせること」という新しい評価軸が付与されます。
その結果、「冷食にも価値がある」という評価へ変わる。
だから私は、
価値そのものが突然変わるというより、何に価値を見いだし、どの価値をどれだけ重要視するかという価値観のランクづけが更新される
と考えています。
圧縮すると、
価値を発見する。
その発見が価値観に付与される。
価値観が更新されることで、次の価値のランクづけが変わる。
という流れです😊
なので「価値は発見か、付与か?」に対しては、発見された価値が、次の価値判断の基準として付与される。
というのが、今の私の考えです。

ナトル

