あなたには愛する人がいますか?
愛とは与える行為のことでその行為に見返りを求めないとのことです
自分は嫁でも子供でもやったことについては当たり前だと思わずちゃんと感謝してほしいんですけど、みなさんには見返りを求めず与えたいと思えるそんな存在の相手いますか?

中山志音

女好きの女
ハナミチ
それは偶然性を根拠とした愛と同一視しても構わないだろうとは思う

まーさん
います
数えきれないほど

たくひら
その上で、別に求めることは悪いことではないし、与えることも間違ってないと思いますが、「求めることを正当化するために与える」のは、これは取引関係なので、愛の話とは話が変わってきちゃったなぁと感じますね。
たれぱん
見返りという点で考えてみます。
今、私は単身赴任で働いているけど、私のためだけでなく、カミさんの生活費も含めて働いてる。カミさんから何かサポートがあるわけでもなく、特に望んでいるわけでもない。娘達も社会人になり独立している。まぁそれぞれ元気に暮らしていければ良いと思っている。
なぜ見返りが必要なのだろうか?
一つ思うのは自分のコンディションによるもののような気がする。今、単身赴任してるけど、それなりに楽しんでいる。それが、カミさんの生活費や娘達の学費を支払うために副業をしたりして、ワークライフバランスが良くないときに、他責思考に陥ってしまうと、見返りという方向に口実を求めるかもしれないかな。
家族に対して見返りを求めない愛する人というか、「感謝」という感じがしっくりくるかも。カミさんや娘達の思いは違うかもしれないけどね。
話がそれましたが、、、
見返りを求めず、与えたい。
という問いについては、私の場合、「推し」なのかもしれません。結婚など、生活を共にすることはリスクが大きく、適度な距離感が必要かなと思います。

ちび
あるんです

山田佐藤鈴木さん

sin
プレゼントをあげたら同等のモノ
相手に労力を使ったらそれに見合うコト
では、家族の愛する関係性では
見返りを期待しない
なぜなら、子供は生まれてくれた事
素晴らしい配偶者を持つ事ができた
そこに感謝をする無性の愛
しかし、時間はバランスを取りづらくする
感謝の念が薄れ気持ちのすれ違いが生じる
無償の愛→バランスの愛
では何が変わっていったのか?
あばたもエクボと思えていたのに
いまはそう感じない
子供は小さい頃の可愛さがなくなり
配偶者は結婚した頃の輝きが消えた
献身的に尽くしても返してくれない
バランスをとる為に見返りが欲しい
人間として自然な感情なのかも
では同等の見返りを必要としているのか
家族においては一言で報われる
養ってくれてありがとう
ご飯を作ってくれてありがとう
つまり、無償の愛はやがてバランスを求める様になるが、感謝の一言でバランスを取り戻す

ナトル
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