広い意味での哲学は、現実と接続する必要があると思いますか?(本文あります)
哲学は、一般的に抽象度の高いものとして認識されているように思います。
その抽象性ゆえに、現実の問題や具体的な行動とどう結びつくのかが見えにくく、「哲学って必要?」という疑問につながることもあると思いました。
また、哲学が抽象的なものというイメージがあるからこそ、少し具体化したものに対して「それって哲学?」という疑問が出てくる場合もあると思います。
私にとっては、哲学を含めた「考える」という行為は、あくまで目的達成のためのツールです。
そのため、考えた結果は現実に接続し、具体的な行動や判断に反映させることが必要不可欠だと考えています。
しかし、現実との接続は不要だと考えることもあると思ってます。
皆さんにとっての"哲学"は現実と接続する必要があると思いますか?
また、そう考える理由を教えていただきたいです。

うみ

とも
答えのない学問です。死生観などで結果的に人を救う事があるかも知れませんけども。
自分の心の中に飾る1枚の絵。
この絵には存在価値があります、とわざわざ言うことはしない。
テーマが曖昧だったので、敢えて極端に言いましたよ!☺️💨

とも

風の音
・問題解決の方法
・幻想
・創造
・心情
などは、同じ「考える」というツール行為でも本文のいう「それって哲学?」って例ですね。
これらがお題になってると、現実と接続する必要のある内容、ない内容だとしてもツッコミいれられる可能性が出てきます[笑う]
それらを除き、さらには、「現実と接続する必要のない」哲学の例を探すと…
過去にあった
「世の中に攻撃的な人とそうでない人の割合が半分ずつになった場合の人口推移はどうなるか」
「生きるとはなにか」
「哲学とはなにか」
「私とは?」
など、一見、現実社会の役に立ちそうだけど、その回答がバラバラで「思考には共感・反感が出る」証明にしかならない、現実の役に立たないテーマはたくさんあると思います。
これは、思考そのものが、現実社会に触れた自身の経験・学習の中から生まれてくるもので、どこか一部には現実要素が含まれてしまうからでしょう。
昔の哲学者たちは、そこに政治的意味も含めてある意味接続させていた感がありますが、いまはこの星のように「何かのテーマについて考えることを楽しむ趣味」としても存在します。
なので、それは娯楽の一つとして「たとえ社会の役に立たなくても、憩いを得るために必要である」と言うのが俺の回答です。

フレム・チェンバース
あたしゃ これっぽっちも かちは ないと かんがえるよ おなかが ふくれなけりゃ じかんを ドブに すててるのと おんなじ!!

tetra

mon
哲学といえど、現実から離れて成立するとは思えません。現実に即して語れない人は理解が浅いのではないかと思えることがあります

クロ
自由

リョウ
ある程度、意図して距離を置くことは可能ですが

コーユー
人生の意味や意義、人間関係、選択の迷いなど、哲学と自覚していなくても、私たちは日常の中で哲学的なことを考えています。
私は哲学を「知の探究」と捉えています。そう考えると、学問が細分化される以前から続く哲学は、日常生活にもかなり広く関わっているものだと思います。
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