人からの承認欲求と人への依存したい欲求があるのは良くないことですか?
みなさんの基準や考え方が知りたいと思っております。
自分は承認欲求が満たされないと人格が変わるぐらい自信も何もかもが喪失します。
また、身近な人(パートナーがいればその人)に依存したい!と思ってしまいます。
これは良くないことなのでしょうか?

Jotak
また悲しい事に、他人に好かれたくて顔色を伺ったり、肩書きや人に認められたくて必死な人よりも、純粋に物事に取り組んでいる人の方が尊敬されやすいというジレンマがあります。
しかし悪いかと言われると本人次第という事になるかと思います。

女好きの女

II
人に認められたい一心で、自己欲求を喪失し、エコーチェンバー化する要因になります。人に依存する事で、自由を喪失します。常に何かの奴隷ですが、自由を得ても自己喪失の結果、何をして良いか、何がしたいかわからない為、奴隷に戻りたくなります。
承認欲求と依存願望は同時に保つべきでは無いと思います。
「生理的・安全・社会的・自己実現欲求があるのは良く無い事ですか?」
この質問は成立しません。
同様に「承認欲求があるのは〜」も、そもそも成立しません。
「依存願望があるのは〜」は、社会的欲求の事で(所属と愛)により孤独を避けたいという欲求かもしれません。その場合は、「言葉」が異なる為、多くの人が病気になります。
病気の入り口として自律神経系がやられます。
簡単に言うと、言っている事とやっている事が「違う」状態です。
例えば、悲しいと言いながら、満面の笑みで、涙を流しながら生きている感じです。
その状態では、おそらく意思疎通が困難で(相手からすると判りにくい)単に偉そうな状態です(こっちの事を察しろ、判れよという上から目線)
それは個人的な問題と言うよりも、むしろ所属する社会の影響が大きいとは思いますが、全責任を持たされるのは、本人です。
ただし、選択の自由はあります。

こう
哲学とか倫理とかは常に真理を求める探求心と同時に、瞬間瞬間移り変わる人間の認知を越えた状況に対応した最善解、悪く言えばご都合主義的な側面を同時に自分の中で考えて成り立たせられることはとても素晴らしいと感じます。それは厳密さを捨てればアウフヘーベンとか、空とか構造とか様々な呼び方をされているのだと思います。関係性を持ちながら常に変化しつつ一つの側面からだけでは捉えられない。相反するようにも一見感じるものが実は同時に成り立つ、というのは哲学などを通して得られる一つの価値だと感じます。

ギゼン
自分自身の中で、他者に承認された経験や、頼りになった人のエピソードなどを用意しておき、いつでも振り返れるようにすれば自分でもある程度機嫌は取れるのではないかと思いました。
居て欲しい時に居て欲しい人が居てくれない!というのには当然ある程度の心苦しさは付きまといます。反面、上手い人付き合いをすれば良い人間関係を築けるのではないかとも思います!

tetra

よんちゃん
強弱は人により異なると思いますが、個人的には承認欲求を昇華させてブチ抜けてる方は見ていて楽しいです。
承認欲求・依存心共に相手の自由やバウンダリーを犯さない程度にコントロールする技術は身につける必要があると思いますが、それが可能な範疇であれば、持つこと自体に問題は無いかと。人間ですもの。

sin
なので自分を責める必要はないと思います
必要なのはその先
自分を認めてあげる
他者を同じ様に認めてあげる
ギブアンドテイク
②依存したいのは自然です
なので自分を責める必要はないと思います
相手が男性なら依存された男性は守ってあげたい本能が生まれます
必要なのはその先
依存だけで人生上手くいきません
男性が求める欲求を満たしてあげる
ギブアンドテイク!

しんや
自覚が無いと黄色信号かもしれませんね。
問題は、『主と従』『メインとサブ』のように、軸足が自分にあるのがよろしいと、私は思います。
なので、『人に認められたい』『ちょっとだけ、心理面で親しい人に寄りかかりたい』という欲は欲で、自身のなかに湧き上がるもの。
として観察していただいて。
あとは、その欲を実行に移すかどうかはまた別段階の話としてとらえる。ということでどうでしょう。

サリンジャー
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