人は、誰かの中に何かを残せたなら、存在し続けていると言えるでしょうか?
たとえば、ある人がもうこの世にいなくなったとしても、その人から教わったことや、受け取った言葉、考え方、技術、想いが、残された人の中で生き続けることがあります。
さらに、それを受け取った人が自分なりに育て、
また別の誰かへ渡していくこともあります。
では、その人の身体がなくなった時点で、その人の「存在」も完全になくなったと言えるのでしょうか。
それとも、人の存在とは身体だけではなく、誰かに与えた影響や、受け継がれていくものまで含むのでしょうか。
ここで考えたいのは、
「記憶に残っていれば生きている」という感情的な意味だけではありません。
そもそも「人が存在する」とは何を指すのか。
本人そのものがそこにいることと、本人から生まれた何かが世界に残り続けることは、同じ「存在」と呼べるのか。
あなたはどう考えますか?

世紀末覇者ラ王
死んだ親父が、今の私にとってそうです。
美化された思い出ではなく、思い出があるからこその思入れです。
親父は昭和の亭主関白で、人生で褒められたのは三回だけでした。
小学校のマラソン大会で2位だった時。
孫を見せられた時。
そして末期がんで喋れなくなる前に言われた、
「お前が息子で良かった」
です。
幼い頃は怒ってばかりで、正直大嫌いでした。
大工になれと言われて職人になってからも、理不尽だと思うことは何度もありました。
でも今振り返ると、自分の弱さも良さも分かってくれていた唯一の存在だったと思います。
心から叱ってくれたのも、心から心配してくれていたからだった。その意味に気づけたのは、いなくなってからでした。
だから私にとって親父は、身体としてはもういなくても、
「自分という存在を見てくれていた人」として、今も心の中にあり続けています。
私にとって、人が残すものは記憶そのものではなく、その記憶から生まれた思入れなのかもしれません。
私は、親父から受け継いだ愛を、今度は自分なりの形に変えて子どもたちへ渡していく。
それが、親父が今も私の中に存在している証なのだと思っています。

クロ

アサギ
そして本人そのものと本人から生まれたものが残り続けることは分けて考えます。
少し冷たいかもしれませんが、人に与えた影響は本人が残した軌跡です。その軌跡はその人が確かに存在した証にはなりますが、亡くなってしまえばもう新たな軌跡は生まれません。
それでもその軌跡から存在を思い出せる限り、その人は心の中に存在し続けると思います。

ふー
何を生み出そうと、誰に何を伝えようと、それを存在と呼ぶならば存在≒情報になり、知的生命体以外は存在できない事になりかねません。
影響を及ぼす全て、であれば、
炎に焼かれた木は炎として存在しており、根を張った土や、枝で休む鳥に木が存在している事になり、逆に本体の存在証明は曖昧になると思います。
ただ、赤ん坊とは、その父母と2人に宿る様々な存在、或いは産婦人科医であり…のように展開していくのも面白い思考実験だと思います。

五島
でも、その人の考えや言葉が誰かの中に残って、その人の人生の一部になったなら、その人が生きた痕跡は続いていると思う。
うぬも、そこを目指している。
そしていつか、「そういえば昔、こんなことを言っていた人がいたな」と思い出してくれる人が一人でもいたなら、うぬが生きたことには意味があったと思える。

