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人を「理解する」って、本当にその人を知ることなんでしょうか?

長く一緒にいるから分かる。 たくさん話したから分かる。 言葉や行動を見ているから分かる。 でも、どれだけ近くにいても、 本人にしか分からない部分はあると思います。 逆に、出会って間もない人なのに「この人、なんでこんなに自分のこと分かるんだろう」と感じることもある。 そこで質問です🙋‍♀️ ・「この人は自分を理解してくれている」と感じるのはどんな時? ・長く付き合えば、人は深く理解できると思う? ・自分のことを一番理解しているのは誰だと思う? ・そもそも、人は他人を完全に理解できると思う? 正解はありません。 みなさんにとって、 「人を理解する」ってどういうことですか?🤔
🇨🇽nano㌨

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【回答】
理解には経験の「量」だけでなく、その人が持っている「格」となる性質や共通点を捉えきる「質」が相互作用している。

【解説】
多く関わることで知り得ることもあるが、2,3の行動から共通点を見抜いて本質を捉えることもできる。だから、長く一緒にいなくても分かるケースもある。そして、人はすべての場面で似たような選択をしない。気分で逆を選んでみたり、試しにやってみようとしたりもする。だから、すべてを知ろうとすると分かっていない方向に寄る。但し、その人の好みや傾向は大きく変動するものではない。それが「格」として行動に現れやすいことから、これを掴めれば量を必要としなくても把握することが可能になる。
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tetra

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まず「人を理解すること」はできると思ってる。だけど、全てを理解することは不可能だとも思う。

自分が自身の話を他者にするとき、その言葉の意図が伝わっているな、と自分が思えれば、その人は自分を理解してくれているんだなと感じる。

他者と接している時間が長い程、理解しやすくなるとは思いますが、時間よりも親近性や感受性の方が重視されるのではないでしょうか。

そして、自分のことを最も理解してくれる人は、自分を除けば、最も自分の心の近くにいる人だと思う。
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のぼ

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『似た生育環境が理解を近づける』でしょうか。

ただ同じ穴にお互いがいる時に苦しみの正体は分からない。
だから、一つ間違えば言い争いになる。

似た環境を経験しながらも、現在は違う環境に身を置いて感覚を共有できる人が理解者になり易い。

似た環境で育った男女が、女性側の環境と男性側の環境からお互いを見た時に成立するかも。

女性のメリットを活かして相手の男性のことを。
男性のメリットを活かして相手の女性のことを。
助けてあげられるんじゃないかな。

完全に同じじゃない方がいいと思う。
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Leaves

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相手を理解しているのでは無く、自分の中で相手がこうであろうと解釈しているのかな?って思います。本当の相手の心の中や思考は相手にしか分からない。ただそこに自分の思考で解釈する事しか出来ないような気がします。
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みみ

みみ

他の方もおっしゃっていますが、他人を100%理解することは不可能だと思います。そもそも自分自身のことさえも、理解、自覚できていないことはたくさんあります。自戒も込めて、他人を理解する=相手の内面を推し測ったり、「この人はきっとこんな人なんじゃないか」と勝手に想像して決めつけること、になりがちで、一方的に「理解」しようとすることは、自分勝手で傲慢な、相手との境界線を踏み越えてしまう行為なんじゃないかなって思うんです。「理解」しようとするよりは、相手を受け止める、受容する、寄り添う、といった、相手と自分の境界線を踏み越えない、ただ隣にいる距離感が、お互いにとって心地よい関係につながるような気がします。
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aki

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共感、共通の体験があって理解に繋がると思うけど、受け取り方も人それぞれなので、本当に知るっていうのは難しいかもしれませんね
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たくひら

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ちょうどつい先日、結構深く潜った話なので、そのまま潜った思考を流していきます。
おそらく、私たちは他人を「理解」出来ていません。「評価」しているだけです。或いは「言語化」しているだけです。そしてこれを二方向で説明して、さらに実践まで落とし込みます。
まずひとつ目ですが、よく考えると当たり前のことなんですが、ひとりの人間に内在している情報量がとにかく多すぎます。今まで生きてきたこと・思考の癖・インプットやアウトプットの量や質。おそらく20歳の私たちひとりひとりは1000万字あっても語り尽くせないのではないでしょうか。そのような他人を私たちは5万字とか10万字ぐらいしか読み込めていない。しかも相手の情報量は年々増え続けかつその情報編纂回路も変化し増え続けます。おそらく私たちの言っている「理解」はその瞬間瞬間のその人を、1万字ぐらいで「自分が表現しやすいように言葉にしている」程度のことしかしてないと思っています。
ふたつ目はさらに厄介な話になります。私たち人間という存在は時間的・経験的な存在です。一方で言葉には時間軸がありません。過去形・未来形という時制は存在しますが、時間性を持ち合わせていないんです。これはベルクソンのシネマトグラフ的認識やゼノンの「飛ぶ矢のパラドックス」からも説明されていることで、とにかく私たちは「理解」という形で「言語」に「固定化」した瞬間に、パラパラ漫画の一枚が出来上がってしまう。だから、「理解」が時間的な「理解」にならず、結果目の前の彼・彼女にその「理解」が追いつくことはないのです。
その上で私たちが気をつけなければならないことは、「理解」することで、「他者を評価」して「満足」してはならないということです。私たちは目の前の人を理解「し続ける」必要があります。評価「し続ける」必要があります。そして対話「し続ける」必要があります。もし、「理解」を「固定化」したら「評価」に堕ちます。
つまり、私たちは更新「し続けない」といけないのです。そしておそらくこの「更新し続けよう」とする意思と自覚が、「理解する」上での倫理的態度なのです。
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誰かの兄さん

誰かの兄さん

偏見と自分の経験でしか話せないけど、相手の話し方や考えとかを自分の中で「こう考えてるんじゃないか?」と予想して、出来るだけ相手に合わせる感じで会話する…みたいなことを考えながら話して、それが合ってる確率が多くなっていくと人物像がなんとなく見えてきて、結果的に「人を理解する」ってことかなって思ってる

でも結局は人それぞれだと思ってもいる
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世紀末覇者ラ王

世紀末覇者ラ王

観察
↓
解釈
↓
確認
↓
理解の更新

つまり、「この人は自分を理解してくれている」と感じる瞬間も、実際には自分の前提を勝手に決めつけず、確認しながら扱ってくれた、と認識した時なのではないでしょうか。

逆に、
「あなたってこういう人でしょ」
と一度の解釈で決めてしまうのは、理解というより、解釈を確定してしまった時に起こる現象だと思います。

圧縮すると、
解釈は意味づけ。理解は、その意味づけが相手の前提や文脈とどこまで整合しているかを確かめながら更新していく過程。

私は「理解」を状態ではなく、動的なプロセスとして捉えています。

だからこそ、その更新が続く関係を「理解し合えている関係性」と感じるのではないでしょうか😊
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ナトル

ナトル

その人と同じ領域や思想に入門するみたいな感じだと思います 100% 知ることはできないと思います 何せ等の方人ですが自分のことを100% 知っているわけではないのですから
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