人は同じ文章を読むことはできないんじゃないか
・考えたことを言語化して文章にする。
・文章を読み取って理解する。
人の考えって少なくとも2回は変換される。
2回も変換されてるんじゃあ、それってもはや同じ文章じゃなくない?という話。
変なこと言うと
俺は今、人は同じ文章を読むことができるかどうかの話ではなく、
人の考えがより正確に伝わるために必要なものは何かの話をしようとしている。
どう?俺と同じ文章読んでた?

風の音
「明日は晴れる」
この短文は、何度繰り返しみても同じ文字列なので、同じ文章は読むことができます。
本文にある「自分が書いた文章を同じ意味で相手に伝えるのはできないのでは?」
についてはその通りだとおもいます。
「明日は晴れる」
この文章を書いた人がどんな気持ちで書いたかは、他人には正確に判らないためそれぞれの立場でこの意味を捉えます。
より自分の気持ちを正確に伝えるには、次々と補足の説明や理由などを足していく必要があります。
「天気予報が晴れといっていたので明日は晴れる」
「今まで外れたことがない天気予報が晴れといっていたので明日は晴れる」
など、長くなるほど自分の意図が伝わる精度は上がっていきますが、こんどは読解力に違いが出てきたり、根気によってはななめ読みする人も出てくることでしょう[笑う]
本文の証明は、
小説をアニメやドラマ化したときに「この声や役者のイメージじゃない」「原作に忠実だ」など、評価が割れる現象です。
人それぞれが同じ文章(小説)を読んで「どう思ったか」が異なることが判ります。

世紀末覇者ラ王
人は同じ文章を読むことはできないんじゃないか
お題タイトルに対しての補足本文から、
文章だけで意図や考えをどこまで共有できるか
と解釈しました。
それなら、
文脈
前提
語の定義
具体例
補足
対話
が必要になってくる。
私の回答とすれば。
同じ文章は読める。
でも同じ解釈は保証できない。
だから、伝達では前提と文脈の共有が重要になる。
つまり、
文章そのものは同じ文章。
変わるのは、
書き手の内的内容
と
読者が受け取った意味
となります。
文章は媒体として同じ。
つまり仕分けるなら、
書き手の認識
↓
言語化された文章
↓
読者の認識
この三層。
「同じ文章を読めない」じゃなくて、
同じ文章から同じ意味を生成できるとは限らない。
となります。
したがって、
「人は同じ文章を読めない」のではなく、同じ文章を読んでも同じ意味を生成するとは限らない。
だからこそ、意図をより正確に伝えたい場合には、前提や文脈、語の定義、具体例、補足などを共有する必要があると考えます。
それでもズレが生じるのは、書き手の意図と読み手の解釈は同一ではないからだと思います。
だからこそ書き手側も、できる限り文脈を提示することで、「自分の意図とは違う解釈が生じた」と認識できるのかもしれません。

むかで
だから言葉を積み重ねるのだと思います。
ちゃんと伝えたい、ちゃんと理解したい。間違いないのでしょうけど、なんかつまらない気もします。
わからなさや、どう捉えてもいい。は、想像力が働いて人間らしいと思いますw

さとしょう

ナトル

サト
基本的に同じ文章を読むこと自体は可能
ズレる要素の段階として
言語の違い、無知の外国語とかなら読めない
日本語でも漢字の誤読
字が読めても語句の理解ができるか
読んだ内容次第で解釈による
その上でどう認識するか
なので
同じ文章を読むことは可能
ズレるのはそれ以降の部分だと思う

のあ

ジンバブエゆみか
なので、皆んなが皆んな同じ認識を持つのは不可能なのではないかと。

セナ
を垂れ流してる人が自分と考えてることが同じで癒されてるっていっててゾクっとした。

蘇我靈眩導師准尉
ただ知能によっては理解が同じになる。
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