哲学者の考え方を、知識としてではなく「体現」として経験したことはありますか?※本文あります。
私の場合は、カントの「目的と手段」でした。
本を読んで理解したというより、自分の経験を振り返ったときに、
「あ、これがこの考え方なのか」と後から気づいた感覚です。
みなさんは、どの哲学者の考え方を「体現」として経験したことがありますか?

SUZUME
『無』について
追求した際に
ものと呼べるあらゆるものを
排除した意識と透明な場所・空間
に辿り着きました。
フランスの哲学者
ジャン=ポール・サルトルは
主著『存在と無』の中で
『無の本質』を
意識の透明性と
もの(存在)を排除する
性質(否定作用)から説明しました。
そのサルトルの『無』の
思想と定義とに共通点が
あると思います。
①意識の透明性としての『無』
サルトルはこの世界を
「即自存在
(固くて不透明な、
ただそこにある『もの』)」と
「対自存在(『意識』)」の
2つに分けました。
意識というものは
それ自体が
物質のような中身を持たない為、
『完全に透明であり無である』
とされます。
意識は
何かを映し出す鏡のようなものであり、
『中身が詰まっていない=無である』
からこそ、
あらゆるものを意識する事ができる
と考えました。
②ものを排除・否定する作用
サルトルにとっての『無』は
単なる欠如ではなく
意識が能動的に
『もの(即自)を排除したり、
括弧に入れたりする行為(無化作用)』
によって生じます。
例えば、
『部屋の中に探している友人がいない」
と認識する時、
意識は部屋にある
他の全ての『もの(机や椅子)』を
背景へと退け、
そこに『無』を浮かび上がらせます。
ものと呼べる全てを排除した時に現れる
『意識のあり方そのもの』が
『無』なのである。

ナトル
拙速(この思想のおかげで今までの問題がスムーズに解決するになった または 悩み事が判明するきっかけにもなった)
孫氏や荘子の考えは知識だけでなく 体感(体験)としててもかなり 助けられたし補えたし危険回避にも助けられた

たくひら
ソクラテス:「私は何も知らない。だからまず相手の話を聞け。(無知の知)」
デカルト:「私は私が存在しているということだけは知っている(コギト)」
ニーチェ:「世界に確実で信頼性のおけるものは何ひとつ存在しない(絶対唯一神神は死んだ)」
前期ヴィトゲンシュタイン:「それでも私たちは、自分たちの存在規定のために、表現し続けろ。(およそ語り得るものは明晰に語り得る)」
リクール:「自分の物語は自分と約束することから始まる」
ヴィクトール・フランクル:「人はどの様な時であっても倫理的に世界や他者に応答できる(それでも人生にYESという)」
アーレント:「私たちは世界に産み落とされる。そしてそこから全てを始められる(出生性)」
ソシュール:「言葉は他者との差異によって初めて生み出される」
ブーバーとレヴィナス:「他者を自分の物語の中で説明出来ない。そして説明しようとすることは重大な倫理違反である(汝と私/他者の鏡)」
ダマシオ:「情緒や感情がなければ人は取捨選択も決定も出来ない」
メルロ=ポンティ:「人は身体を通じてまず世界にある。認識や知識が先ではない」
たぶん、整えたらさらに10人は出てくると思いますね。全て実践できる生活哲学から登っていける話ですね。

ヒデ@飛沫武士™️

