この映画監督、頭良いんだろうなーって思う人は?

鉢
毎回時間の表現が面白いし、背景設定が細かいおかげで納得しやすい。

夕暮
ぐるてん
②ラース・フォン・トリアー

ヘボン

りんご飴

シズ
『セブン』(1995)は少し古いですが、
『ファイト・クラブ』(1999)
『ゾディアック』(2007)
『ソーシャル・ネットワーク』(2010)
『ゴーン・ガール』(2014)
『Mank/マンク』(2020)など。
フィンチャーは「頭がいい」というより、人間心理と社会システムを冷静に観察する知性があります。
特に『ゾディアック』はおすすめです。
犯人探しの映画なのに、最後には、
人間は「真実を知りたい」という欲望にどこまで支配されるのかという映画になっていきます。
実在した連続殺人事件を扱った作品ですが、普通の犯人探し映画とはかなり違います。
「人間は、真実が分からない状態にどこまで耐えられるのか?」という話になっていきます
そしてフィンチャーの「異常な几帳面さ」があります。
彼は撮影において非常に細かいことで有名です。
カメラの位置、俳優の動き、照明、編集などを徹底的に管理する。
デジタル技術を積極的に使う監督でもあり、同じ場面を何度も撮影して最適な瞬間を組み合わせるような制作方法を取ることがあります。
そのため、画面を見ると、
「何となく撮った映像」
という感じがほとんどありません。
画面の隅々まで意図がある。
これがフィンチャーの怖さです。
『DAVID FINCHER: MIND GAMES』— Adam Nayman
フィンチャー研究ではかなりおすすめです。
『セブン』『ファイト・クラブ』『ゾディアック』『ソーシャル・ネットワーク』『ゴーン・ガール』などを通して、
完璧主義的な演出、 人間心理、社会への不信、映像の構図、デジタル撮影などを分析しています。


シズ
『メメント』(2000)『プレステージ(2006)
『インセプション』(2010)『インターステラー』(2014)
『TENET テネット』(2020)『オッペンハイマー』(2023)
特に『メメント』は、記憶が壊れている人間の視点を、映画そのものの時間構造にしてしまうという発想が凄い。そして『オッペンハイマー』になると、物理学・歴史・政治・倫理を一つの映画にまとめています。
クリストファー・ノーランは1969年生まれ。
父親は広告関係、母親は客室乗務員という家庭で育ち、大学では英文学を学んでいます。
ここがちょっと面白いところで、彼は物理学者でも数学者でもありません。ところが『インターステラー』『TENET』などでは、物理学や時間をものすごく重要な要素として扱います。専門家になるのではなく、専門家と徹底的に話をして、それを映画に変換するタイプなんです。特に有名なのが物理学者キップ・ソーンとの仕事です。ノーランは『インターステラー』を作る際、ブラックホールなどの描写についてソーンとかなり密接に協力しました。
その結果、映画に登場するブラックホール「ガルガンチュア」は、単なる想像図ではなく、一般相対性理論に基づいた計算から映像を作るという非常に珍しい方法で描かれました。
「ブラックホールって、なんとなくこういう感じだろう」ではなく、「アインシュタインの方程式から映像を作ってしまおう」という発想です。
彼はCGだけに頼ることをかなり嫌うことで知られています。『インターステラー』では宇宙船の内部を実物大セットで作ったり、『TENET』では本当に旅客機を用意して建物に突っ込ませるという、とんでもない撮影までしています。CGで作ることもできたのに、「実際に存在するものを撮影したほうが、俳優にも観客にも本物として感じられる」という考え方です。
Christopher Nolan, The Nolan Variations: The Movies, Mysteries, and Marvels of Christopher Nolan
著者:Tom Shone 2020年
ノーラン作品を一本ずつ詳しく分析した本。
『メメント』『インセプション』『インターステラー』『TENET』の「時間」「記憶」「現実」の扱いを理解するのに特に良いです。


カズー
ロバート・ゼメキス
マーティン・スコセッシ
ぶれこ

シズ
タルコフスキー
これはさらに難しい。
幼少期の記憶、母親、戦争、詩、夢、現実が混ざり合います。
普通の映画のように、
「この人物がこういう経験をして、こうなった」
という因果関係で見ると分からなくなります。
むしろ、人間の意識そのものを映画にした
と考えたほうが近いです。
この映画には、普通の意味での「物語」がほとんどありません。
「一人の人間の記憶そのものを映画にした」
ような作品です。
『鏡』は何を描いているのか
中心にあるのは、ある男性の人生です。
しかし、その男性本人が画面にほとんど姿を現しません。
過去・現在・夢・記憶
の境界がどんどん曖昧になっていきます。
この映画では、鏡に映るのは単純な「現在の自分」ではありません。
人間が自分自身を見ようとすると、
記憶の中の自分が出てくる。
幼い頃の自分。
母親との関係。
父親との関係。
自分が誰かを傷つけた記憶。
失ったもの。
そういうものが現在の自分の中に残っています。
だから『鏡』というタイトルは、
「自分自身を見つめる映画」
という意味にも取れます。
人間は現在だけを生きているのではなく、過去を抱えたまま現在を生きている。ということになる。これは心理学的にも、実存哲学的にも非常に興味深い映画です。そして『鏡』は、「理解する映画」というより、自分自身の記憶を呼び起こされる映画なんです。
初めて観ると「何が起きているのか分からない」と感じる人が多いのですが、そこからがこの映画の面白さです。
「分からない」のではなく、「記憶というもの自体が、本来そういうものなのではないか」と考えると、急に見え方が変わります。

もっとみる 




