「テセウスの船」というパラドックスと、自動車メーカーの車種「アルファード」は、同じ構造の問いになるでしょうか? ※本文あります
ならないとしたら、違いは何でしょうか?
アルファードをカスタムしたり、修理で部品を交換した場合、それでもその車は「アルファード」と言えるのでしょうか?
どこまで変われば「アルファードではない」になるのでしょうか?

り
まず前提として、今回の質問での「アルファード」は特定の構造や特徴を持つ車の一般名詞として使われています。
「テセウスの船」におけるテセウスの船は、一つの特定の個体であり、同一性への問いです。一方、「どこまで修理・改造したらアルファードではなくなるか」は、「アルファード」という車種の概念や分類の境界を問う問題だと思います。ですので「テセウスの船」に近づけるなら「略)ーーたら“元の”アルファードでなくなるか」と対象を限定する必要があるとおもいます。
ただ、もしこの問いの趣旨がもとよりそうだったならば、上記の理論から考えて「テセウスの船」と同じ構造です。そして私の国語力の不足が示されます:(
ソマリ
しっかりと管理して大切にしてる方はそうなる事もあるかと
たれぱん
「テセウスの船」はテセウスが乗ってきた船という特定の個体であり、ストーリーがあります。伊勢神宮は式年遷宮があり立替ますが、伊勢神宮です。会社やバンドも構成する人が変わっても継続しています。
それぞれにストーリーがあって、「テセウスの船」のパラドックスと同じ味方ができると思います。
今回は「誰か」のアルファードなので、ストーリーが見えません。
「テセウスの船」と異なりますが、考えてみます。
①故障した場合の純正部品の交換は問題なくアルファードです。
②エアロをつけたり、車高を落としても、まぁ「アルファード」かな。
③フロントマスクを姉妹車の「ベルファイア」に帰ると、「アルファード」ではないという人が出てきます。
このあたりから、「アルファード」ではないという意見がで始めるのではないでしょうか?
「アルファード」を所有する「誰か」と「アルファード」ではなく「ベルファイア」だと言う人との認識の境界線もこのあたりと思います。

サト
より複雑な構造になるなとは思う
テセウスの船においては
「同じテセウスの船と言えるか?」だと思うけど
アルファードにおいては
「車種として同じアルファードか?」
「同じ個体としてのアルファードといえるか?」
「部品が全部ヴェルファイアに変わってもアルファードか?」
「所有者がアルファードという固有名を名付けたワゴンRなら?」
と、色んなパターンで考えられると思う
船も車もあくまで例
問の構造自体は同じものだと思う
で、アルファードについて答えると
車種として見るなら
「純正じゃない部品と交換した時点でアルファード・カスタム」
所有者視点で見るなら
「アルファードと認識してるのであればアルファード」
でいいと思う
もっと言うと
人間のサイボーグ化を問えば
スワンプマンとか哲学的ゾンビを掠めた
おもしろい話になるなとは思う

