自己同一性とそれに依存する感情について(本文あり)
私が長い間考えていることです。
今現在の悲観的な性格に苦しむ「あなた」が、ある選択をすることで未来の自分は楽観的になり、その後はずっと苦しみから解放されるとします。ただし、その代償として現在の人格は失われます。
あなたは、「現在の人格を保ったまま苦しみ続けること」と、「現在の人格を失う代わりに未来の自分を幸せにすること」のどちらを選びますか。
また、人格が変わった未来の自分を、あなたは「自分」と呼べるでしょうか。さらに、その選択の価値を評価する主体は、変化後の自分であるべきですか、それとも変化前の自分であるべきですか。
皆さんの考えを聞いてみたいです。

HIQ

サト
その上で「変わっても自分」と言える
普通に
生まれてから死ぬまで
人格、正確、思考、思想
全く変わらない人なんていないと思うから
幼少期と学生時代と今
だいぶ正確変わってると思うけど
別人になったとは思わないし

tetra
アイデンティについて最近過去の記憶を整理して他者と向き合う機会があり、それで感じたことを。
悲観主義な自分は、選択によって楽観主義を手に入れました。しかし、これはそのように装っているだけです。おそらく本来自分を抑圧している。人格は一つであるし、人の中にはどちらも共存していて、どちらが表層にいて意識を支配しているのかということです。楽観主義の自分は自身にとって正しい選択をした未来を得ていて、幸わせを感じることでしょう。
ただ、その未来はホントの自分が描いた未来でしょうか?ホントの自分は抑圧された悲観主義の自分、つまり変化前の自分であると思います。

