哲学を知っている。と、哲学を解釈している。この違いは何か?※本文あります。
私はnoteで哲学について書かれたエッセイをよく読みます。
そこで、ふと思いました。
哲学者の言葉や思想を「知っている」ことと、その哲学を自分なりに「解釈している」ことは、同じなのでしょうか。
たとえば、
「〇〇という哲学者は、こう言っています」と説明できることと、その考えを具体的な出来事や自分の経験に置き換えて、「私はこういう意味だと受け取りました」と説明できること。
この二つには、どんな違いがあるのでしょうか。みなさんは、哲学を「知っている」のでしょうか。それとも、哲学を「解釈している」のでしょうか。

フレム・チェンバース
しっている→なまえや みため
かいしゃく→あじの かんそう
こういう ことでは なかろうか!!

若
(・∀・)知らんけど

マーロウ
知らない
単語は知ってる
定義を知っている
別の人に説明できる
行動できる
など
知っているだけならば、他者との意思疎通には使える
しかし、哲学の解釈を踏まえて自分で考えたり、判断したりはできない
解釈していれば、その考えを踏まえて考えや判断ができる
こんな感じかな

しんや
知識を知った者には、知識を行動に移す責任があるのかもしれません。
ただの、物知りの怠惰な人間でいることはある意味では『罪』なのかも?

パン
:(っ'ヮ'c):

ナトル

Jaco_ten

しろやぎ

セナ
解釈している、は正しいかどうか置いといて私はその知識をこういった形で理解している
ニュアンスが異なりますよね。
自分は断定的な言い方が苦手なので後者をよく使います。考えるとか思うとか。

世紀末覇者ラ王
私は、
はっきり言って哲学知識はほとんどありません。
自分という人間を知るために。
モヤモヤの正体を知るために。
自分なりに考え続けていた中で、カントの「目的と手段の入れ替わり」という考え方に触れました。
私は夢だった大工の仕事をしていましたが、伸び悩み、自己嫌悪になっていた時期があります。
その時に気づいたのが、目的と手段が入れ替わっていたことでした。
本来は、
「大工になること」が目的で、
「仕事」はそのための手段だった。
ところが、いつの間にか、
「仕事をすること」が目的になり、
「大工であること」が手段になっていました。
「やりたい」が、
「やらなければいけない」
に変わっていたんです。
それに気づいた時、私は伸び悩みから少し解放されました。
それから私は、
哲学を知っていることと、
哲学を自分なりに解釈していることを分けるようになりました。
その方が、大工も哲学も楽しめるようになったからです。
みなさんは、哲学を「知っていますか?」
それとも、哲学を「解釈していますか?」
正解・不正解はありません。
皆さんにとって、哲学とはなんですか?
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