💩味のカレーと、カレー味の💩。どちらを食べても💩なのではないか? ※決してふざけではなく、パラドックスとしてのお題です。本文を読んで考えてみてください。
子どもから大人まで、一度は聞いたことがある「究極の二択」多くの人は、遊びとして「どっちがマシ?」と考えたことがあるのではないでしょうか。でも私は、子どもからこのお題を出されたとき、「これって、同一性のパラドックスとして考えられるのでは?」と不意に思いました。
💩味のカレーは、実体としてはカレー。
カレー味の💩は、実体としては💩。
では、私たちは何をもって「カレー」「💩」
と認識しているのでしょうか。
味なのか。見た目なのか。材料なのか。実体なのか。それとも、自分がそう認識したものなのか。
正解はありません。
「何をもって同じものとするのか?」
というパラドックスのお題として、自由に考えてみてください。

フレム・チェンバース
見習い
例えばこういう見方はどうでしょうか。
たまたま排出された大便がカレー味だったら、それをカレーと呼ぶのか?
逆に、衛生的に作られたカレーが偶然大便の味だったら、それを大便と呼ぶのか?
私には由来・構成・生成過程・衛生学的性質といったものが、「味」という一つの性質だけで覆るとは思えません。
そもそも味覚にも人それぞれ差異があると考えられますしね。

ギゼン
💩味のカレーは、どちらとも取れると思いました。カレーと名付けられていますが、そもそも食べる人がいなそうですよね。食べられない💩味のカレーは、💩味の物体、すなわち💩としても存在し得るのではないか。と思いました。

サト
味が違うから味覚から得られる満足度が違う
だから永遠の命題なんだと思う
コーヒーさん
私も子供の頃、この問を考えた事がありますが、
多くの場合「カレー」にだけ焦点を当てています。
私は、米はあるのか、漬け物はあるのか、皿に盛られているのか、スプーンで食べるのか、など付帯する事へ考えが行ってた事がありました。
結果、💩味のカレーは、恐らくとんでもなく不味いカレーと言う事なのでしょうから、提供される際には体裁が整っていると思われます。
一方は、わざわざ皿に盛り付けるの?米もあるの?など故意に行なう事が多く「食べられない前提」の作業と感じるため、結論としてとんでもなく不味いカレーの一択だと思ってます。

世紀末覇者ラ王
私は、どちらを選んでも💩になると考えました。
💩味のカレーは、実体としてはカレーです。しかし、味覚として経験するのは💩です。
一方、カレー味の💩は、味覚としてはカレーでも、実体としては💩です。
さらに考えると、多くの人は実際に💩を食べた経験がありません。つまり「💩味」というもの自体、直接経験した味覚というよりも、見た目、臭い、知識、嫌悪感などを通して形成された「💩という概念」なのではないでしょうか。
そう考えると、
💩味のカレーは「認識としての💩」
カレー味の💩は「実体としての💩」
どちらも異なる経路から、最終的には💩に辿り着きます。
では、私たちは何をもって「それ」と認識しているのでしょうか。
実体なのか。感覚なのか。それとも、自分の中に形成された概念なのか。
私はこのお題を、何をもって同じものとするのかを問う、同一性のパラドックスとして解釈しました。

