あなたにとって『正解と不正解』『正しいと正しくない』は、何ですか?※本文あります。
※正解や不正解の答え合わせではなく、あなたの中でそれぞれをどのような概念として捉えているのか、教えていただけると嬉しいです。

くらら
答えが正しくても正確とは言えない。
理由を解説できて初めて正確となる可能性を持つが、それでも正解とは一意に断定できない。
・Phase2-理由
ある人が問題に対してなぜ、自分の考えた仮説や定義が間違っているのかを正解者に尋ねると、
「その意見は○○の定義に対して××と解釈することができるため、実際は△△と解釈しないといけないから□□を用いる」と解説できる者
「条文に書かれている正解とは違う」と否定する者に分かれる。
後者は正解を導き、理由を述べることはできる可能性はあるが本質的な解釈を理解していないから不正解を修正する技量を持っていないと言える。
Phase3-パターン認識
一を聞いて十を知るについて
これは一を聞いたことでパターン認識から構造的に未知の問題領域でも答えを生成できる状態を指す。これは問題を条件毎に切り分けて細部の性質までを正確に捉えていることを表す。一方で、正解や理由を暗記によって解釈すると一に対して一を知るに留まる。
Phase4-暗記学習
Phase3では暗記学習を1:1と話したが、すべての暗記学習に意義がないというものではない。例えば、言語を習得する、法律を知るというのは構造的要素もゼロではないが、暗記力の方が力を発揮しやすい局面もある。

キイヤマ

YOSHI
正しいとは死ぬまでわからない。
ただ自分にとって死ぬ時に誰かに一粒でも涙を流してもらえたら正しく生きれたのかもと思えるように生きていきたい

むかで

ラスカル
経験値や学習により得られるもの。
不正解は模範解答にそぐわ無いさま。
マニュアル通り。
それ以外の回答は排除される。
正しい正しくないは、その人の主観である場合が多いにあるのではないかと思う。
一方が私は犯人ではない。犯人はあの人だ、と言ったところで、本当の真実なんて分かりづらいことの方が多い。
何が真実かわからなくなりぼやけることが多い。
誤魔化し誤魔化されることも多い。
自分が言っていることこそが正義と思い相手に伝えても相手には相手の正義があるから衝突。もしくは喧嘩になる。
法律に則って正しい正しくないと言い合ってもそれは言い合いにしかなら無いのではないか。
だから裁判官がいるのではないか。

こうしん
方向性を決めるために必要なことだね
見習い
そして「死」を「正しくない状態」の一つとして仮定しています。
ここでいう「収束点」とは、全ての物事を突き詰めれば最終的に一箇所へ行き着く、つまり「正しい」状態そのものが存在するのではないか、という仮説です。
ただそれを人間が正しく認識できるかは不明です。
そこで「正しさ」を導き出す為の仮説が
「人にとって死とは間違った状態ではないか」です。
これは死は自然の摂理「だから仕方がない」という考え方への疑問でもあります。
生き物、特に人間は何故死を恐れ、抗い、生にしがみつこうとするのか。
その原始的な指向性が「収束点」に向かう方向性なのだとしたら?
そう考えると私にとっての「正しさ」は、いくつかの仮説から消去法的に導き出していくものになります。
死は間違いだとすれば→
自死・他殺は否定される?
命をどう扱うべきか
教育はどうあるべきか
人はどう行動すべきか
なぜ犯罪は悪と言えるか
科学的見地との整合性は?
このように一つの軸から様々な問題の説明を試みています。
そしてこの軸を通して「科学的な神」の存在についても考えています。
人間が認識できる限界点が、同時に「人間にとっての真理たる収束点」なのだとしたら、それは人間にとって神と呼べる存在ではないか。
もし神的な存在が実在するなら、それは人間の外側にある超自然的な存在ではなく何よりも「科学的」に存在するのでは?と考えています。
さらに、この世界そのものがフラクタル構造によってできているのではないか、とも考えています。
もし人間がそのフラクタル構造の末端だとすれば、枝分かれを続けながら彷徨い「正しい形」へ向かう途上ではないか
つまり現在の世界は完全な状態ではなく、不完全、あるいは何らかの意味で破損した状態にあり、人間の行動はその修復や構築を担っているのではないか、という仮説です。
かなり簡略化した説明なので一部飛躍に感じる部分もあると思いますが、以上が現時点で私が考える「正解・不正解、正しい・正しくない」という概念です。
もちろん、どれも証明された事実ではなく、暫定的な仮説です
それでも、これらを一つの軸としてつなげることで、生命、倫理、犯罪、教育、そして神という問題まで一貫して説明できるのではないかと考えています

