あなたが『これが自分だ』と思う前提は、どこから来ましたか?
診断からですか? 他者から言われたことですか? 過去の経験からですか?なぜ、それが『自分』を表すものになったのでしょうか?

てかがみ
ろく
感覚的には、ヒュームの言葉を借りると経験の束(もっと言うと主観的経験の束)という考えがしっくり来るかなあ。でも身体に基づく感覚を一旦置いて考えてみたらやっぱ経験だけでは形成されない「自分たらしめるなにか」がありそうな感じがするなーっておもう。(面白くないと個人的に思ってしまう考えとしてはこの不足を自然科学の分野に求めるものがあると思う。例えば遺伝とか?)わたしは決定論者ではないというか、意志の存在信じたいよ派なので、やっぱ自由っていうものがあるんじゃないかなとかおもう。(カントでさえ証明できずその存在を「要請する」しかできなかった自由ってやつを証明出来たらかっこいいよね、やってみたいな)
で、結論、経験からなる固定的でない自分と、それとは真逆に元来持っているであろう(と思いたい)「自由」というものからなる、ある意味固定された自分というふたつが、自分という認識の前提なんじゃないかなと思いました!
わかってる、自由についてが詳らかじゃないからおもろくないなこの文。アプリオリな自由って?
そもそも自己というものは形而上学的問で解決できるもんなんかなあ、認識の域をやっぱ出ないよねてかなんなら1番出ないものだよねきっとおもろ、範囲定めるところから始まるんだろうかこの問。ちょっと考えたいけど眠いから寝ますわ一旦、

セナ
ある程度自由に好きなように生きてるうちに
自分って感覚が植物が育つみたいに大きくなった。

わくわく冒険ランド

tomo
生まれ持った性質や環境、他者との関わりによって経験や選択が生まれ、
その積み重ねに一定の傾向が見える。
それを便宜上「自分」と呼んでいるだけだと思います。

むかで
あと、良い事を独り占めしたい時と
悪い事を誰かに押し付けたい時ですw

jwB
自分の考えが点だったのが思いやりという
キーワードが自分にハマったら点が線になり
全てがひとつに考えるようになった
それから今まで自分の考えをもっと安定や
考えて今大分考えがまとまりました

