「空気読み」が優しいと言われる社会で「一般論理」の誠実性をどのように説明することができるか※本文あり
論理は冷たいとよく誤解されている。
ここ日本社会ではその人にとって都合の良い言葉を「優しい」とし、正しくないと否定されることを「冷たい」と解釈する。
実際に一般論理の整合性とは誰がどのように扱っても均一な解を得られることを指し、海外諸国では人を選ばずに論理的解釈ができる人を「一貫性がある、誠実」と呼ぶ。これは私の解釈と一致している。
ところが、多くの日本人はそのようには捉えない。特に日本では論理的思考というカリキュラムを学ぶ生徒はほとんどいない。だから社会に出ても論理的解釈ができない者がいて、「冷たい」と言う。このような人たちに一般論理の誠実性を説明するなら何を話すか。

tetra
場の雰囲気を形成することにより、言葉による説明を最少化する。日本人は話をするのが苦手なのでしょうか? そもそも、日本語文法は、論理的説明に向いているのかという問題もあろうが、論理とはそれに依らないはず。日本社会においては、空気を読め文化が 単に定着しているだけのこと。
一般論理が冷たいとされるのは論理を持って接する際に、感情をのせる必要がないからだと思う。
感情が入る余地がないのだから、その説明は一貫したものであり、表裏のない、正しいものと皆から認識されるのではないでしょうか。
一方、集団心理、同調圧力においては、論理めいたものはあるかもしれないが、その人々(集団)の思い、感情が優先されれば良いので、こちらは論理の後付けの感はあると思う。

be
何を誠実とするかや誠実さの価値が人によって違うから、説明しても相手が納得するとは限らないし、相手の反応に自分が納得できるとも限らない。

風の音
日本は「支配するものとされるもの」の分離がはっきりしていて、支配する人たちにとって従えやすい人格形成を目的としてきたからだと個人的に思います。
話はそれましたが、複数仕事をしているため、これまで色んな国の人とともに働き、接してきました。
仕事も真面目で明るく楽しい人でも、意見や疑問はハッキリと伝えるし、国によってはなにがなんでも主張を通そうとする人たちもいたり、仕事中でもナンパしたり、「トイレ」といって20分くらい仕事をサボったりと…“国柄”というのはあると感じてます[笑う]
一般論理の誠実性を日本人に説明するのは困難です。
そもそも説明を受けることが苦手(笑)
また、職場や学校などで“閉鎖社会”で徒党を組んだり批判人柱を作ろうとする彼らには、そうした「変わった人」を見つけると喜んで人柱に立てたりします。
「空気読み」が美学であるというマスコミぐるみの操作が続く国の人たちに説明するには、マスコミが誠実性を積極的に操作していかないと変わりません。
しかし個人的意見が尊重される社会は長期政権を維持する上で不都合なので、マスコミぐるみでそれを阻止すると思います[笑う]

ギゼン
って、社会はそんなに甘くないですよね…。w
それやったら、発信源とかインターフェースに「一貫した論理=優しさである」という認識もまたしている人物を置き発信してもらうのが早いと思います🤭。

あきよし
一貫性の重要性を説明するのであれば、
それが関係性を維持するために有用であることを言うと良いかと。
例えば、一貫性がある、というよりも、
裏表がない、信頼できる、相手によってコロコロ変えない、などでしょうか。
その土台として論理的思考があるのかもしれませんが、そこは日本人に限らず、あまり気にしていないのではないでしょうか。
他人のアタマの中のプロセス(思考)よりも、アウトプットとしてのコミュニケーションをどう修飾し配慮するのかが重視されるのは万国共通のようにも感じます。

ゆう
ただ、思考過程とその表出方法は別ものだと考えます。
そのため、「冷たい」と一言にまとめてしまう相手に対して理解を得るための説明は難しいですが、あなたの考えからくる行動に対して「冷たい」と受け取られにくい接し方なら考えていけるのではないでしょうか。
やはり、否定されたと感じると自分のためを思ってくれてたとしても素直に受け入れにくくなります。
私が素敵だなと思い意識していることのひとつに、褒める時は人を、指摘する時は行動を主語にするということがあります。せっかく相手や全体のことを思って言っても「冷たい」と否定されてしまうとこちらも悲しくなりますからね。
一貫性や誠実さはわざわざ思考過程を説明しなくても行動で表していけるものだと思います。全体を上手く回していくためには「冷たい」とまとめてしまうような人達にどう接するのが合理的か、相手が何に重きを置いているかにも目を向けるとよりよいのではないでしょうか。

ひかり
一般論理に則ることは、マーケット発展の当初にあった身なりのしっかりしてない人には商売をしない•値段を釣り上げる。という方式を誰でも売り場に立つならば均一に取り引きできる考え方にした経緯と近いのかなと思いました[照れる]
ただ、こうして出来たルールもやがて慣習になってしまう。それを現代の視点にアップデートする視点は…感情になってくるのかな。

空
また日本において社会的に評価されやすい気質は自己犠牲や滅私奉公と呼ばれる相手を立てるものが相当すると思われる。
これは誠実とは極端にあるような人付き合いであり、露悪的な表現をするのであれば賄賂を送っているのと大差が無いのではないか。
誠実性は論理に基づきお互いの最適解を模索していく行動指針、滅私奉公は相手の感情から最適解を自分が実現する行動指針である
社会的に上の階層にいるものは当然、自身の利益が大きい考え方が広がることをよしとし、他の考え方を弾圧するでしょう。
それこそが今回のズレではないでしょうか。

