私たちはルールの奴隷なのか?
私は多くの人がルールに従いただ服従する様を見てきました。彼らは社会から一切はみ出ることなく一般人として生活しています。そこで時にルールに支配されない特異個体が現れると考えられます。一般人はなぜルールに従ってしまうのでしょうか?ゲーム理論的にも考えられると思います。
協力ゲームの均衡は幻なのか

風の音
俺が生きてきて観てきた世の中では、寧ろルールを守らなかったり悪用してきたやからは大勢います。
町を走ってても法定速度を守る車や原付は寧ろ珍しいくらい。
「ルールの奴隷」という表現から、出題者的には“ルールを守るのは奴隷”という認識なのでしょうか?
日本は車は左側通行ですが、海外で左側通行すると逆走行為になることもあります。
ゲームのなかで禁止されてるチート行為が蔓延すると、ルールを守って“楽しく”遊んでいる人たちは「ゲームは面白いのにやってるやつらがつまらない」と離れていくことが多々あります。
ルールを守らないことが真の解放、この俺が法律だ、という社会は自らがそれを公約に掲げて立候補してみると支持率が数値となって把握できますので、真に願うなら立候補してみるといいかもしれません[にこやか]
また、規則はそのまとまり(社会や会社、恋人同士の約束など)で立てられたものなので、先の車の走行規則のように「集団によって規則は変わる」ため、ルールを破ったことが他の国では普通のルールかもしれませんね。

Jaco_ten

凡太

きゃん
ハミルトン
不自由な中の自由で私は少なくとも満足できている

律
果たして存在しているのだろうか
私はそんな人間は見た事がない…
奴隷というからには
与えられたルールに囚われ
ただ従うのみの存在
ルールとは無数に存在している
それを個々に判断しているのが人間である
守る価値の有無
常にそこを判断しているはずである
人の価値観によって
ルールの遵守基準は違ってくる
例えばエスカレーターの乗り方
コレは場所によって様々であるが
いついかなる時もそれを守るのだろうか?
ルールの大小
破る事による代償
天秤に掛けてはいないだろうか?
本当にルールの奴隷だと言い切れるだろうか…

あい

世紀末覇者ラ王
ルールは、みんなが公正に暮らすための約束事。
秩序は、その結果として社会が成り立つ状態です。
だから私たちは、ルールそのものの奴隷というより、秩序を維持する。という目的のためにルールを利用しているとも考えられます。
一方で、本当に奴隷になってしまう瞬間があるとすれば、それはルールではなく、
自分の正義こそ絶対だ
と思った時ではないでしょうか。
ルールは時代や社会によって変わります。
しかし、正義を絶対視すると、その変化すら受け入れられなくなる。
私は、奴隷になるのはルールではなく、正義への執着なのかもしれないと思いました。

jwB
日本人なんてまさに奴隷

むかで
生きづらくなってさ
ルールが崩壊してさ
新たなルールで暮らす訳さ。
それもまた崩壊してさ
繰り返しよw
それよりさ
今を崩壊させようとしてる奴等
新たなルールをつくる奴等
そこを見たほうがいいよw
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